長崎

ハウステンボスは,オランダをイメージした筈が,ところどころヴェネチアだったり,リスボン風にも感じられたりで,フィクションの島に聳え立つ檻のような印象。とにかく広いので,きっちり見て回ると1日では時間が足りない。

2泊3日し,ほぼ丸2日,見て回った。

初日は,いくつかのお店を見て回ったあと,「ホライゾンアドベンチャー・プラス」に入る。その後また,店を回り,ドムトールンに登る。眺めはよいものの天気がいまひとつはっきりしない。昼食をとり,その後,JTBパスポートについたサービスで,ドムトールン3階だったかの休憩スペースで休む。ハウステンボスに行くときはJTB経由で入ると特典がついていて便利だ。ハウステンボスに限らず,観光地でのJTBの威光はばかにならない。

JTBのサービスを改めてチェックし,夕方からの計画を立てる。「光と噴水の運河」の乗り方を尋ねにインフォメーションセンターに行った。窓口の方からもらったアドバイスは次の通り。

  1. 初回(19時)から数回はかなり混む。乗るのは少し時間を置いてからのほうがよい
  2. 19時半以降は,レストランが混雑する

そこで,私たちは18時半くらいにレストランに入り,食事を済ませた。これもJTBのサービスについていたのもで,指定のレストランのコースディナーが1人1,000円で楽しめるというもの(なんだかJTBのまわしもののような気分になってきた)。内容は,前菜にパスタ,メイン,デザート,飲み物(パン添え)で美味しかった。全体,ハウステンボスの食事は印象がよい。外でイルミネーションを見ている人が多いからなのか,店内は落ち着いている。

19時半くらいに店を出て,無料の船で入口まで戻る。そこで「光と噴水の運河」に乗りなおす。ダンドリくんのような滞りのなさだ。ライトアップされたようすはばかばかしいほどの迫力で,3Dプロジェクション・マッピングがそれに拍車をかける。下船後はドムトールンの上からライトアップをみる。

21時過ぎにはホテルに戻った。飲み足りなかったので,バァで久しぶりにマーティニを頼んだ。

翌日は,天空の城,シューティングスターに娘,家内と参加した。娘は夏休みに友だちとでかけた先で,似たようなアトラクションをやったという。その後,大観覧車に乗り,昼食。家内と娘は何度目かの買い物に出かけるというので,私は休憩場所を探してうろつく。結局,適当な場所がなく,ホテルアムステルダムのカフェに入った。

17時に空港行きのリムジンバスが出発するので,それに合わせてホテルに戻る。

帰りの車中も,やはり空港までの途中の町に住む人の生活を想像してみた。もちろん,何ひとつ想像することはできなかったのだけれど。

30

“Birthday”をなまで聴いたのははじめてだと思う。ライブで演奏される“NIKKI”の曲は“Baby I Love You”“お祭りワッショイ”くらいで,NOW & THENシリーズの“NIKKI”を楽しみにしていた。ここから,怒涛のように“NIKKI”ナンバーを中心にライブが展開する。

“Morning paper”は神奈川県民ホールで感じたのと同じくらいすばらしい勢いだった。“京都の大学生”もよかった。“Long Tall Sally”の最後に鳴るギターのリフから“Superstar”に続く流れは,アドレナリンが沸々としてくるような暴力的な恰好よさだ。この日のライブの頂だったように思う。この曲を聴くたびに,XTCを思い浮かべてしまう。森のパーカッションというかタンバリンを用いた囃し立ては,数年前の武道館のときのBOBOより数倍のインパクトだ。最近のくるりのライブで,このときのようにフロアが波打ったのを見たことはない。

“HOW TO GO”は後半のギターの掛け合いの恰好よさ。“街”“虹”と続き,本編は終了。正直,ここまででかなり体力を持って行かれた。

アンコールは岸田繁が一人で登場して弾き語り。佐藤とデュオで,まるでこれもXTCのように続けて2曲。

バンドメンバーを交えて3曲で長丁場のライブが終わった。“WESN”は,ファンファン+福田洋子バージョンがよいなと思うものの,とにかく全体が,おそろしくパワフルなライブだった。

セットリスト

  1. ワンダーフォーゲル
  2. トレイン・ロック・フェスティバル
  3. 魔法のじゅうたん
  4. 愉快なピーナッツ
  5. BIRTHDAY
  6. Bus To Finsbury
  7. Morning Paper
  8. Tonight is the night
  9. 琥珀色の街、上海蟹の朝
  10. ふたつの世界
  11. 京都の大学生
  12. 帰り道
  13. Long Tall Sally
  14. superstar
  15. ロックンロール
  16. Ring Ring Ring!
  17. HOW TO GO
  18. EN01 ベランダ(弾き語り)
  19. EN02 遙かなるリスボン(岸田・佐藤)
  20. EN03 春風(岸田・佐藤)
  21. EN04 夜行列車と烏瓜
  22. EN05 WORLD’S END SUPERNOVA
  23. EN06 Liberty & Gravity

軽井沢

長崎の記録,くるりのライブの記憶は,前倒しした日にちに書き記すことにする。そうしないと,あれこれ整理がつかなくなってきた。

土日にかけて軽井沢に出かけた。ドラマ「カルテット」につられてというわけではなく,家内が抽選に当たり,1泊2日一人500円で泊まれるというのだ。安いにはもちろん理由がある。宿泊先はマンションタイプの別荘リロケーション物件で,システムの説明というよりも勧誘時間が1泊2日のなかにセッティングされているためだ。

9時に家を出て,大宮経由で軽井沢に着いたのは11時半くらい。荷物をコインロッカーに預け,バスで旧軽井沢まで行く。スキーシーズンはほぼ終わり,春の観光シーズン前とはいえ,意外と多くの人が町に出ている。ショー記念礼拝堂までのぼり,通りを眺めながら小一時間かけて戻る。

本が似合いそうなイメージの街なのだけれど,軽井沢で書店に入った記憶がない。古本屋を検索したところ,車なしでは出かけづらいところに一軒だけみつかった。不思議な感触がする。

昼食は少しだけ迷い結局,マイアミガーデンに入った。それでも,予想以上にコストパフォーマンスがよい。15時台発のしなの鉄道に間に合わせるため,1時間に1,2本のバスを待たずに駅まで歩いた。

御代田で降りる。土地勘がまったくないので,どれくらい距離があるのか見当がつかないがおいしい喫茶店とパン屋があるという。宿泊先に近そうなので,とりあえず歩き始める。目印のコンビニや国道に着くまで20分くらい。娘がiPhoneで喫茶店,宿泊先の距離を確認したところ,思いのほか遠いことがわかった。喫茶店は明日にすることにして,トラックがときどき通過する国道を軽井沢方面に歩く。それにしてもかなり遠そうだ。

国道沿いの潰れたラーメン屋が廃品回収会社に変わり,「営業中」の幟がひらひらとなびく。潰れたモーテルと営業中で遊園地のようなモーテル。動物病院はあるのに,人間のためには歯科だけしかない。ドライブインは閉まっていて,コンビニが2軒。晴れた土曜日の午後だというのに,道を歩く人とは,駅を出てから宿泊先まで,結局誰一人すれ違わなかった。

宿泊先に着いたのは,そうして1時間近く歩いた後のことだった。いい運動になったものの,少し疲れた。

クローク担当者はユニフォームといい,なんだかスポーツジムに入ったかのような印象だ。チェックイン後,部屋に案内される。部屋は広めのマンションタイプで,以前両親が住んでいた千葉のマンションをひと回り大きくしたようなつくりだった。コンドミニアムといえば聞こえはいいけれど,私たちは旅行先にみずから調理をする,それを愉しむようなライフスタイルを持ち合わせてはいないので,家内も娘もあまり関心がわかない。

平成が始まった頃,徹の職場が保養施設として契約した会員制ホテルに泊まったことがある。誰かのコラムを読むためだと思うのだけれど,どこで手に入れたのかすっかり記憶にないエロ本を置いたままにしてチェックアウトした。「会社に通知されたらどうなると思うよ!」徹がおそろしい勢いで怒っていたことを覚えている。意図的だったのか偶然,置いてきてしまったのかすっかり忘れてしまったけれど,その頃,われわれは「誰にでもいいからCHA CHAのCDを送りつけたい。そのために中古CD店でCHA CHAのCDを買いたい」と頷き合っていたのだから,(その整合性は理解されないかもしれないが)意図的だったような気がする。

同様のホテルに何度か宿泊したことがあり,たとえば初島クラブなどは,ときどき訪れたくなる。他のホテルもおおむね快適だった。だから,どうしても会員制ホテルと比較してしまう。わが家の観光スタイルには,どちらかと言われれば,会員制リゾートホテルのほうが向いている。それにしても会員権を手に入れてまで宿泊したいとは思わない。

食事前に1時間ほどシステムの説明を聞きながら,そんなふうに感じた。夕飯はビーフシチュー付き松花堂弁当で,娘も家内もあまり美味しいとは言わなかった。旅行先で食べるにはさびしげだ。風呂は悪くなかったけれど,旅行に来た気分ではないな。

翌朝,最終的に勧誘には断りを伝えた。タクシーでパン・トゥルーベに向かった。家内と娘は山ほどのパンを買って楽しそうだ。そのまま,道を隔てた喫茶店ル・パステに入る。開店まで少し時間があったので,15分くらい道端で景色を眺めた。ル・パステもよい店だった。こうした店に置いてありそうな本や雑誌,写真集が存分に置いてあった。それよりもBGMがU2ばかりだったのが印象的だ。帰りの際には“Sunday Bloody Sunday”が鳴っていた。ちょうど入れ替わりに店に入った老夫婦は,どんな曲かわからないかもしれない。タクシーに御代田まで行き,軽井沢に戻る。

午後はアウトレット三昧。このところ太ってしまったためなのか,経年劣化のためかわからないが,トラウザーズの内股がすれてしまい,2本がダメになった。とりあえず2本を選んで購入した。家内と娘が出かけているあいだ,フードコートで休憩。

17時過ぎの新幹線で大宮経由,上野駅で夕飯をとって家に戻ったのは20時過ぎ。

洗脳

長崎の続きも,くるりのライブの続きも書き留めておきたいものの,その前に1つ。

会社帰りに近くの書店で「現代思想/特集=社会学の未来」を買った。一緒に手に入れたマンガを読みながら高田馬場で降りて,ブックオフに寄り3冊だけ本を買い家に戻る。見逃した「カルテット」第7話をWebで見た。テレビとほとんど変わらない画質だ。

寝る前に「現代思想」を少し読む。昼休みにWebで岸政彦のインタビューを斜め読みし,結果,出たばかりの「現代思想」に興味がわいた。毎号かなりの分量の原稿が掲載されているので,とりあえず「インタビュー桜井厚×西倉実季」からページを捲り始めた。

先のインタビューで触れられていた桜井の紹介ならびに一部批判は,埒外の私にとっては,もちろん初めて知ることばかりで,とても面白かった。面白かったのは,結果的に一部批判される桜井の考え方がじつに80年代のものだからだ。働きかける手前の右往左往せざるを得なさは,他人事とは思えない。後になってあの時代,武谷三男の特権と人権をきちんとつなげる取り組みがあれば,意味論も他者論も,もう少し違った動きをもったのではないだろうか,と感じたことがある。もちろん,武谷三男を取り上げるのは,少なからず軋む椅子のような空気だったことに間違いないのだけれど。

世代論でくくってしまうのは暴力的にすぎないものの,私より少し上の世代に属する宮台真司や大塚英志の発言や著書を20年近くの間,興味深く読みながら,彼らに共通する「主体性」と「洗脳」についてのとらえかたに,どこか違和感を覚えることがあった。「正しさ」とは異なる「モラル」のような何かだ。自己啓発セミナーや一部の新興宗教,カルトに通底する洗脳について,ゾーニングし,にもかかわらず主体的に選ばれたのならば自己責任の範疇であるとくくる。前提となるのは教育の重要性だ。「他人を操作する」そのこと自体への言及はほとんどない。しかし,悩ましいのは,「他人を操作」し得る技術がすでにあり,欲望をもつ人間といかに対峙するか,いや対峙せずに「ずらせ」というのでは,わかりはするけれど,どこか違う。

岸政彦は私より少し下の世代で,彼らの言説からは,主体性をかならずしも前提にしてものごとをとらえないという意味での「礼儀」があるようには感じる。けれども,「語りの場」と意味づけるそのこと自体に,無自覚な洗脳(他者を操作する技術)への接近はないだろうかと思うのだ。

フロイトが「無意識」に「意味」を与えて以後,とにかくありとあらゆるモノやコトに意味を付与するようになった。「意味なんてありませんよ」という言葉にさえ,何らかの意味が与えられる。何気ないしぐさにも意味を見出す。他者を操作する技術のはじまりは,意外とそのあたりにあるのかもしれない。そしてまた,その技術については,どれだけ慎重に取り扱っても慎重すぎることはない。また,あらかじめ定義しておく必要があるのではないだろうか。

何気ない会話が,研究者から過大に意味づけをされ,祭り上げられる(かのように語られる)。祭り上げられているその間,それは気分がよいだろう。ところが,祭り上げられた意味を,みずからの主体性と履き違えてしまう。結果,消費されておしまい,という言説をいくつも見てきた。

でも,意味なんてなくて,いいんじゃないか。と書いて,「僕らはみんな意味がない」と言い切ったケラは凄いなと思う。(これも続くような気がする)

ネオテニー

そ奴には実際に会ったことはない。だから会話をしたこともないし,目にするのは国会中継や記者会見くらいだ。

そ奴には妻がいて,こ奴にもじかに会ったことはない。今月の「文藝春秋」に掲載された石井妙子のルポでは,その行動原理がスピリチュアリズムへの傾倒にあるとまとめられているとのこと。なるほど,(武谷三男による特権/人権の意味で用いる)「特権」を得る座にあるものが,あたりまえのように「特権」を用いて,なお,さらにスピリチュアリズムに傾倒する。

P-MODELの「幼形成熟BOX」を思い出したのは,そしてこ奴らに辟易するのは,だから,まき散らされるネオテニー臭ゆえに違いない。二人揃って,結局のところ,行動原理の奥底にあるのはネオテニーだ。河合隼雄の書籍以外でほとんど目にすることがない「メサイヤ・コンプレックス」の定義に「ネオテニー」との親和性・共通性を付記したらどうだろう。そのことをどうこういうつもりはまったくない。ただ,その行動が私に少なからず影響を与えること,つまりこ奴らが国政の中枢にいることは容認できない。

一挙手一投足すべてが人を不快にさせることは,容易くできるものではないが,この二人がメディアに現れるだけで胃が痛くなってくる。夫のほうが話している様が映ろうなら,すぐさまメディアを閉じる。

そして,しばらく憐れむのだ。

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