I Guess Everything Reminds You of Something

10年と少し前,ネットに記憶を書き始めたときのこと。それは記憶だから時系列が整理されていようがいまいが関係なかった。特に当初は,それなりにオチがつく記憶を思いつくままに記していったように記憶している。

何を見ても,何かを思い出す。

ヘミングウェイの短編のタイトルのようだと思ったのは,SNSを用いるようになってからのことだ。書棚に並ぶシングの『アラン島』を見ると,今はオイスターバァを思い出す。ブタの貯金箱を見ると,石油ストーブを思い出す。やちむんを見ると,3月を思い出す。

そんなふうにつながるあれとこれを,書いてみようと思った。どうしてそんなことを思ったのかはすっかり忘れてしまった。

Revise

【1】仲間と映画をつくろうとシナリオを書いた。「抱きしめたい」と「言い出しかねて」と「王様の気分」。どれもあとで小説(単行本『神様のピンチヒッター』に収録)にしたんだけれど,「言い出しかねて」というのは,どのみち映画にできるわけなかった。なにしろヘリコプターは落ちるし,車は燃える。当時のオレたちでは手に負えなかった。「抱きしめたい」は,いちおうフィルムにして1時間くらいはまわした。でもその時点でヒロインの女の子と喧嘩になっちゃって,結局,嫌になって,やめちゃったんだ。
矢作俊彦インタビュー年譜「小説家になんてなりたくなかった」,p.73-74,別冊・野性時代,1995.

【2】20代の頃書いた短篇小説を読めばわかるけど,全部狭い場所であんまりあちこち動かないでしょ。全部知っている場所で,撮影させてくれそうな場所なんだよ。小説だからそんな舞台を選ぶ必要はないのに,元のシナリオが撮影させてくれそうな場所ばっかり書いているから,現実の場所になっちゃうわけ。
矢作俊彦インタヴュー,p.20,nobody,No.19,2005.

image1image2単行本『神様のピンチヒッター』ではじめて初期の中・短篇を読んだとき,小説第1作「抱きしめたい」に比べると,「夕焼けのスーパーマン」は読みづらい,「王様の気分」は今一つだと思った。すでに『マイク・ハマーへ伝言』『リンゴォ・キッドの休日』を読んでいたので,あの唯一無比の文体 1比べるとガチガチで風通し悪く感じた記憶がある。

しかし今回,読み返してみたところ,かなり面白かった。こんなに格好よかったっけ? というのが正直なところだ。

「ミステリマガジン」1972年9月号に掲載された「夕焼けのスーパーマン」のなか,「二村警部」はこのように登場する。

 電話ボックスは,クラブから五十メートルくらいの所に在った。梟式の光電管が入れた灯は未だ煌々として,逆光が手前に佇んだ男を全くの影にしていた。
 痩せぎすで,背のそう高くない影が俊郎へぶらぶらと近寄って来る。口元に当たる辺から小豆粒くらいの光が弧を描いて路上に散った。活性炭をふんだんに含んだ煙草の,粉っぽい匂いに,俊郎の嗅覚がいやいやをした。
 お互いの顔が見えだして二人は立ち止まる。影だった男が,手の甲で鼻を掻いた。
 「なるほど」と俊郎が言った。「警官とさよならを言う方法は本当に発明されていないようだ」

image31972年,二村がその後,矢作俊彦の小説の主役を張るどころか,40年以上にわたり小説を生業にすることさえ,思い描いていなかったに違いない。「二村警部」の初登場場面は淡々としている。これは稲葉俊郎と由を中心に描かれた物語だ。『気分はもう戦争』の“TAKE  ⑥ TRAIN”と比較してみていくことだってできる。しかし二村を中心に検証していくとなると,魅惑的な物語から視点は離れてしまう。

ここでは,「夕焼けのスーパーマン」は,二村の物語ではないことを確認すればよいのかもしれない。

にもかかわらず,次作「王様の気分」で二村は主役の座を獲得する。とともに,「抱きしめたい」以降の中篇シリーズは連作であると宣言されるのだ。何かが変わったのだと考えることを躊躇う理由はない。しかし,何が変わったのだろう。

引用【1】に「夕焼けのスーパーマン」があげられていないので,本作は書き積み重なった映画のシナリオではなく,オリジナルではと思ったのもつかの間, 【2】をみると,「夕焼けのスーパーマン」はピタリ当てはまる。やはりシナリオ経由の小説なのだろう。10年後,「週刊漫画アクション」に 掲載された「THE PARTY IS OVER」とつなげても違和感のない感じがする。

Notes:

  1. 一人称に加え,三人称にもかかわらず一人称のような語り口で進めていく文体の格好よさのこと。「リンゴォ・キッドの休日」以前の小説は三人称で書かれているものの,登場人物に対する感情移入が遠慮がちな分,レトリック上,損をしているように感じる。

28

「アンテナ」全曲完全再現を終え,続いて「ジョゼと虎と魚たち」のサントラから“ジョゼのテーマ”。「惑星づくり」のようなテイストで,トランペットがいない分,展開は落ち着いていた。

“飴色の部屋”からゆっくりとした曲が続き,その後,“地下鉄”。武道館ライブ以来のような気がする。たたみかけているかのようなアレンジで,相変わらず恰好よい。

アンコールは最近の曲が演奏された。ラストの“琥珀色の街,上海蟹の朝”は本式のラップ。サビのところしか聞いていなかったので,それは驚いた。

くるりの瞬発力が何だかとても楽しかった。年末のKing Crimsonのライブで,パット・マステロットがジェイミー・ミュアーの“フリーなパートをなぞっている”(おかしな表現だとは承知のうえで)ような演奏がずっとひっかかっていて,それでもライブ自体はよかったのだけれど,ライブの楽しさってこういうことだと示されたような感じがした。

セットリスト

  1. グッドモーニング
  2. Morning Paper
  3. Race
  4. ロックンロール
  5. Hometown
  6. 花火
  7. 黒い扉
  8. 花の水鉄砲
  9. バンドワゴン
  10. How To Go
  11. ジョゼのテーマ
  12. 飴色の部屋
  13. ハイウェイ
  14. さよなら春の日
  15. 地下鉄
  16. さっきの女の子
  17. Hello Radio(アンコール)
  18. かんがえがあるカンガルー(アンコール)
  19. ふたつの世界(アンコール)
  20. 琥珀色の街、上海蟹の朝(アンコール)

27

「アンテナ」のアルバム順に演奏は始まった。

“Morning Paper ”は2曲目だから,vol.2のときのように全体引っ張り気味の演奏とは異なり,緩急をつけ,曲の輪郭がくっきりしている。

“ロックンロール”は,ダッダッダッダッと4つ打ちのバスドラに尽きる。ドラムに合わせてテンポを上げた演奏で,その早急さが曲に躍動感のようなものを漲らせる。

“黒い扉”でこの日の一度目のピークに至る。つまりは岸田繁のギタリストとしての力,それは決して狭義のテクニカルさとは違う自由で卓越した表現力,即応性のようなものを見せつけられた。サポートギタリストはがんばっているものの,どこか“なぞる”ような演奏で,それは経験の深さによるものなのかなと思いながらステージを見ていた。

“バンドワゴン”の至福感は,“リバー”にも似て,私には苦手のはずなのだけれど,ライブで鳴らされると,衒いもなにも失せてしまう。

“How To Go”は圧巻だった。すごいものみちゃったなあというのが正直な感想。そのすごさを,少しずつ言葉にしてみたくなる。終わってからの鳴り止まない拍手のなか,結局,私自身,拍手を止めることができなかったことについても。

 

26

神奈川県民ホールで,くるりのライブを見た。NOW AND THEN vol.3ということで,「アンテナ」全曲再現が謳い文句だ。

サポートメンバーの交代なしに,vol.2のバンドサウンドを維持しつつ,さらに高みに向かう演奏が恰好よかった。

神奈川県民ホールは,今どき貴重な古いタイプのコンサートホールだ。16年前にここで学会があったとき,ボランティアスタッフとして動き回ったことを思い出す。あの日は台風一過で,バスルームシンガーではないジャズボーカリストの放射線技師から聞いた話は以前,記した。

打ち合わせを済ませ,東海道線で横浜まで出たものの帰宅ラッシュの真っ只中だった。乗り継ぎがよくて開場には時間があるので,市営地下鉄へは乗り換えず,関内から行くことにした。小雨のなか,久しぶりに日本大通りを歩く。

開演ギリギリの到着になりそうだったため,家内,娘とは現地集合にした。結局,席に最初に着いたのは私だったのだけれど。1階右奥,最後列から2列目。

1曲目は“グッドモーニング”。「アンテナ」の曲は,改めて聴きなおすとコーラスの役割が大きいのだなと感じた。前回よりも2人のコーラスがはまっている。(つづきます)

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