Walk

速達を出すために落合郵便局まで歩く。

用事を済ませて,そのまま早稲田通りを西に向かう。東中野銀座商店会のあたりまでは,ここ数年行き来したことはあるものの,その先を歩くのはどれくらいぶりだろう。新宿スポーツセンターの改装もあいまって,ここ数か月ほとんど運動せずにいる。さすがにまずいだろうという気持ちが起きて,まずは歩くことにした。

四半世紀前は,この道を行き来して事務所へと向かったことを思い出す。もともとが寺町なので,あまり景色は変わっていない。自転車に乗るよりも歩いたほうが上り坂はこたえないように思う。桃太郎すしの看板を見つけ,ときどきここまで買い出しに来た記憶が蘇る。高円寺の桃太郎すしに最後に行ったのは平成の初めのころだった。

中野五丁目あたりになると,町並みは変わっていないどころか,時間が止まったかのような感じだ。そのままブックオフに入った。

本を何冊かを買って,薬師柳通りを入る。セブンイレブンの先を右に入り,しばらくして左折する。もう一度,左折すると銭湯の向かいに五香菜館が見える。このあたりに最後に来たのは娘がまだ小さな頃のことだ。おじさんは私のことを覚えていてくれて,おばさんは相変わらずの調子だった。今日は休みなので,折り返して,当時住んでいたアパートを探す。このあたりの道の入り組んだ具合は恐ろしいもので,直角の交差点がほとんどないのに加え,そこかしこに高低差があるのだ。少し迷った後,どうにかアパートを見つけた。

駅に向かう道から見る空の広さは恐ろしいくらい変わっていない。新井薬師界隈にとって四半世紀の時間などほとんど影響を及ぼさないのだろう。

新井薬師前駅に着くころにはさすがに疲れた。それでも4kmくらい歩いたのだけれど。歳をとったのだなあと実感する。

高田馬場経由で池袋に行き,古本まつりをのぞいて帰ってきた。

大阪

打ち合わせ用にもってきた資料のほとんどは相手先に渡したものの,それで荷物が軽くなったのは束の間のこと。結局,事典を携えていくことになってしまった。

阿倍野のあたりをぶらついたのは初めてのことだ。帰りの新幹線の時間が気になるので,あまり遠くまでは行かずに,駅の近くを右往左往しながら夕食をどこでとろうかと悩む。

出張先の大阪で,実のところ旨いものにありついた記憶はほとんどない。神戸では定食屋,中華からフレンチまで,あたりはずれはあるもののさまざまな店に入ることができるのに比べると,大阪はここでも面倒臭さが絡みついてくる。思い出すのはせいぜいギョウザ屋や喫茶店のランチ程度だ。昼食抜きだったその日もだから,居酒屋でそこそこ飲もうと思ったものの,躊躇ってしまう。結局,商店街にオープンして間もないラーメン店で,からあげをつまみにビールを飲み,ラーメンと半チャーハンで〆た。

天王寺から大阪を経由して新大阪駅に着いたのは20時を回っていた。缶ビールとつまみを調達して席にたどりつく。ボディブローのように事典の重さが背中にきいてくる。ぐったりして席についてもしばらくプルを開ける気にはなれなかった。京都を過ぎたあたりでようやく缶ビールを飲み始めた。『アメリカ最後の実験』を捲り,しばらくすると眠ってしまった。

大阪

はじめて大阪に出かけたのは生後半年のことだそうで,当然,記憶にはない。新幹線開通の前日に特急で親戚の家に向かったのだという。

小学生の頃までは,夏や冬になると親戚のうちを根城に,半月から1か月は大阪で過ごした。一人で出かけるほどの土地勘はなくて,親戚の家のまわり以外では,甲子園球場のある尼崎や枚方パーク,豊中,千里ニュータウンの記憶があるくらいだ。阪神電車と阪急電車の印象はそれでも強烈で,特に阪急梅田駅のホームへ上る階段とその途中にある書店の光景は覚えている。そこではじめて自動改札を通ったこととともに。

子どもと電車に乗ることに慣れていなかった叔母は,あるとき,私の分も切符を買ってくれたものの,それは運賃が半分の大人用切符だった。もちろん自動改札は閉じてしまった。

母親は結婚するまで大阪で勤めていて,梅田の地下街にあったカレー屋でたぶんドライカレーだと思うのだけれど,玉子を落としたカレーが美味しかったと聞いたことが何度かある。ただ,私はそのカレー屋に連れて行かれたことはない。

大阪には父親と母親それぞれの親戚が住んでいたので,なんというか面倒臭い町という印象が強い。それは他社との合同野球部の納会で,おしぼりをマイクに見立てて挨拶をさせられるのに似たような面倒臭さだ。

関西に出張するたびに面倒臭さのようなものがついて回る。

日帰りで大阪に出張した。環状線で天王寺まで行き,近鉄南大阪線に乗り換え藤井寺まで。環状線から見る大阪の町並みはかなり趣きがあって,まったく嫌いではないのだけれど,近鉄線に乗り換えて阿倍野から離れるにつれ,だんだん普通の町並みに変わっていく。

10年くらい前に同じように藤井寺まできたことがあって,当時はまだ球場跡が残っていた記憶があるのだけれど,今回は見当たらない。とにかく寒いなか,偏頭痛まで出てきてしまったので,打ち合わせ場所へ向かう前に薬局を探して薬を確保した。食事をとることもなく,そのままタクシーで打ち合わせ場所へ向かった。

帰りは古市駅から乗車。終点の阿倍野まで行き,そのまま古書さろん天地へ。『科学史技術史事典』が1,200円で並んでいたのでつい買ってしまった。(つづきます)

Walk

ここのところ,しばしばアクセスする日記サイト。管理人の歩く範囲が並大抵ではない。先日は,池袋から中井・落合を経由して中野まで歩き,その後新宿に着いたときまで徒歩のようなのだ。徒歩記などと謳っているのとは次元が違う。

土地勘のないところで結果,歩いてしまうことならばある。数年前,名古屋へ出張したとき,宿泊先から会場まで,地下鉄で数駅を歩いた。名古屋というのは国際会議場と駅周辺の狭い範囲しか知らないので,たまに宿泊すると,結果,歩いてしまう。それにしても2,3キロのことだ。

中井から東中野だって往復で2キロ少しだろう。そのくらいの距離ならわかるのだけれど,池袋から新宿まで中野経由で歩いている人がいることに驚く。本を読むよりなにより,歩いていることがすごいなあ,と。

五木寛之の『風の王国』みたいだな。

Publishing

家内と妙正寺川沿いの喫茶店で昼食をとる。家内は受験帰りの娘と落ち合うため池袋へ向かう。そのまま東中野まで歩く。ブックオフを見て,折り返し落合のカフェ傳でひと休み。『アメリカ最後の実験』の続きを読む。帰りに地元の伊野尾書店で「ユリイカ」3月増刊号「出版の未来」,探していた「みすず」のアンケート特集号がレジ横にあったので(無料)一緒に。アンケート特集号はかなりのボリュームだ。

「ユリイカ」増刊号「出版の未来」を後ろの方から読んでいる。刺激と反射の話をされても,何の感興も催さないというのが正直な感想。「刺激と反射」と「巧拙」は違うのだけど。別に崇高な理念だとか何だではないし,たとえば誰かが電子書籍のアクセスのよさについて語っている箇所はそのまま電子書籍のアクセスの悪さとして示すことができるようなどうでもよいところばかりで,読んでいて,結局,こ奴ら何がしたいのだろうか,と想像力が殺がれていく。だってさ,目の前に本があれば,それを買ってすぐに読めるのだもの。端末にその利便性を明け渡して,そちらのほうがアクセスがよいといわれてもなあ。

百歩譲って「出版」を博打ではなくビジネス化するための刺激と反射であれば理解はできる。共感はしないけれど。求められてもいない本を好き勝手に作って帳尻合わせてきた業界はだからビジネスモデルにならないと思う。私は博打に染まっていることが嫌じゃないのだ。

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