1979

このポストで大槻ケンヂについて書くのはどうかと一瞬考えて,その先を整理せずに,新規投稿を捲った。

昌己を経由してだったろうか,1986年に筋肉少女帯の音には接していたはず。実際に目にしたのは年明け,後楽園ホールで子どもたちのcityをみたときのことだ。P-MODELを目当てに昌己と出掛けた。P-MODELはトリ前で,思えば荒木の脱退ガラパゴスの待ち伏せ男の前,最後の演奏だった。といっても,ガラパゴスには出掛けたのだけれど。

まだ,みのすけがドラムで,演奏能力云々よりもリズムアレンジが琴線に触れる。途中に6/8のリフが混ざると途端,格好よく感じてしまうのは,赤い公園に嵌った最近まで変わらない癖。それほど長いステージではなかったものの格好よかった。全体,予定より押していた記憶もある。

チケットぴあのばばあ(別称:天使)が間違って発券してしまったライブの会場は渋谷ライブインで,その日は筋肉少女帯のライブだった。1987年のことだから,あれから四半世紀が経っている。いまだ,10数年前くらいにしか感じない。オープニングはケラ抜きの空手バカボン=空手アホボンで,“バカボンと戦慄”はもちろん演奏した。続いて筋肉少女帯の演奏がはじまったのだけれど,後楽園ホールに輪をかけて格好よかった。長尺の“いくじなし”は,ストーリーがすっと思い浮かぶようにクリアに耳に入ってくる。繰り返すようだけれど,みのすけのズンドコドラムは悪くなかった。(つづきます)

17

13曲目“最後のメリークリスマス”もシングルだと,かなり弱い感じがしたけれど,こうやってアルバムに収まると,いい具合に緩急がついてしっくりする。

14曲目“メェメェ”。小品だけれど“日本海”の出だしにつながるリフをもう少し長く聴きたくなる。すこし平沢進っぽい感じがした。

15曲目“There is (always light)”。実は不思議なリズム。まあオリジナルの“ロックンロール”とか,あの手の面白さ。

 

ということで全15曲。“坩堝の電圧”と合わせてシャッフルすると,とても面白くなりそうだ。

1979

『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』のなかで小谷真理が,オタクの出自のひとつに平井和正をあげている。誰か大藪春彦論を書かないだろうかと嘆いていたのは平井和正本人だったと記憶しているが,誰か平井和正論を書かないだろうか,と思う。

オタクに関してまとまった論考を読んだ記憶がないので,すでに検討済みなのかもしれないが,平井和正が1970年代以降のサブカルチャーに及ぼした影響は,思いのほか大きいと思う。SF,マンガ,アニメ,ハードボイルド,セクシュアリティ,新宗教。音楽と映画,演劇,お笑いをのぞくものの,残した足跡はないがしろにできまい。一方で,音楽と映画,演劇など,平井和正が足を踏み入れなかった/踏み入れられなかった領域に,その後のオタクは踏み込むことで1970年代のオタクを踏み越えていったという仮説でも立ててみると,何かみえてくるものがあるかもしれない。

たとえば大槻ケンヂは,生まれからするとオタク第一世代のおわりに位置するが,大槻が平井和正を読みながら,音楽や映画に魅入られていった経緯を掘り下げることができれば,東や北田のフィクションとは別のオタク観が登場するのではないだろうか。

1979

『網状言論F改―ポストモダン・オタク・セクシュアリティ』のなかで,斎藤環が微妙に時系列を調整して,オタク第一世代が政治的だと話すくだりがある。そうでもしないと東の思い込みから先に進めないと考えたからだろうけれど,少なくとも10代のオタクに政治的な振る舞いを期待すること自体,いったいどこの話だろうかとなるのが関の山。

過去について,東浩紀の思い込みの見当違いさ加減はさまざまな諍いを生み出してきたように思う。笠井潔や大塚英志との対談を読むと,同時代への焦点化は確かなのに,ひとたび自分が生まれる前の話になると見当違いな断定に走る。致命的に想像力が足りない。

だから東浩紀が語る1970年代のオタクは,かつてどこにも存在しなかった想像の賜物として理解しておいて間違いはない。それは北田某とか,若い世代の論客に共通する欠陥だろう。にもかかわらず,その時代を視野に入れて何かを語ろうとするから,さまざまな軋轢を生むのだ。

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7曲目“loveless”。くるりの王道のメロディ。今回のアルバムは“坩堝の電圧”からさらにトランペットアレンジが格好良くなっている。8曲目の“Remember me”も同様。ただ“Remember me”については,iTunes配信の三柴理ピアノ入りバージョンを復活させてほしかった。

9曲目“遥かなるリスボン”。娘はこの曲が一番,気に入っている。iTunesのインターネットラジオに“ Eclectic ”というカテゴリーがある。ここにきて,このアルバムがエクレクティックであることに思い至る。遅いけれど。だから,エクレクティックだった前作とやはり双子のアルバムではないかと思う。90トラックで思い出すのはケイト・ブッシュの“Dreaming”。とすると,“Never for ever”と“The Dreaming”の2枚の流れと,“坩堝の電圧”と“The Pier”の関係は近い。

10曲目“Brose&Butter”,11曲目“Amamoyo”と,まさにエクレクティック。

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