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芸術新潮の香港特集に矢作俊彦が登場したとき,赤瀬川原平とのつながりは理解できたものの(血の付いた立て看をみやげに一番弟子にしてもらったという),羽仁未央は新潮の編集者のキャスティングか何かだと思っていた。 1997年というとネット環境がかなり一般化したころで,当時検索して出てきたのがこんなページ。Bay-fmか。
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犬には普通のこと

旧「野性時代」末期,1995年くらいに連載が始まった「犬には普通のこと」。以前記したとおり,フランスを舞台に傑と祝を中心に物語は進んでいく。「東京カウボーイ(小説のほう)」と「サムライ・ノングラータ(漫画のほう)」をつなぐ位置づけになるはずが,休載が続きフェイドアウト。連載「フィルムノワール」のなかで意外と二次利用されていた。 連載にあたって,こんなカラーページまで用意されたのだけれど。
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こちらはビジネス雑誌というのか,いまだに誰が読んでいたのかわからない雑誌「Do Live(ドリブ)」に連載されたコラムだったと思う。とにかく他に読むところがなく,「テレビぴあ」もそうだったけれど,次第に追いかけるのを止めてしまった。(掲載順はよく覚えていない)
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Column

平成の初め頃,小説の執筆は限られていたものの,矢作俊彦のコラムが複数の雑誌に掲載された。昭和50年代から60年代に比べると,書店の店頭であたりをつけながら探すことをしなくなったのは,たぶんコラムが掲載される雑誌はあまり面白くなかったからかもしれない。広告出稿媒体としてのみの役割しか感じられない雑誌という塩梅だろうか。 「テレビぴあ」に掲載されたコラム。 
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Routine

喬司とはここ数年,年に1,2回は飲むようになった。バイクを手に入れたとか,ギターの練習しているとか会うたびに何か新しいことに手を染めているのは凄いと思う。喬司に関しては,どうも「手を染める」という表現になってしまうのだけど。 この前も昌己とともに池袋で待ち合わせた。話すことはたわいのないことばかりだ。ただ,四半世紀以上かけて身についたやりとりの呼吸に,ときどき心底ホッとする。

私が赤羽で仕事を終え,池袋へやってきたというくだりで,

「駅でペイティさんみたいな人をみたよ」と言うと,昌己は,

「赤羽でペイティさんみたいっていったら,それはペイティさんだろう」

そうだな,確かに。

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