挿繪堂

櫻田さんとはじめて会ったのは20年少し前のこと。その2,3年前からお仕事をお願いしていた小島さんに紹介された。家庭をもつ前の数年間,西武新宿線の新井薬師に住んでいたことがあって,櫻田さんが西落合に住んでいらしたころだったので,駅で落ち合って3人でスナックへ行ったのだと思う。

小島さんにいろいろなことがあって,亡くなる少し前,高島平のお宅にうかがったとき,「いつか櫻田さんのホームページをつくりたいんだよね」とおっしゃた一言がなぜか忘れられない。

静かに消えるように小島さんが亡くなった後,いまだお別れにうかがえないのだけれど,数年前に櫻田さんのホームページをつくらせてもらった。

しばらくは問題なく動いたが,昨年あたりから調子が悪くなった。JavaScriptのリリースがなくなった(?)せいだと思う。自前でJavaScriptをつくるほど私は努力家ではない。時間が空いたときに使えそうなフリーのテンプレートを探してはいた。なかなかしっくりくるものが見つからないまま,数か月が過ぎた。

先週のこと,10年くらい前に知り合ったユグリさんのブログ(リンク確認中)で紹介されていたテンプレートがよさそうだったので,少しだけ手を入れてつくってみたのが,こちらのページ(こちら)。

Real

エア積ん読にはまだ遠い。実際に読んでいない本がこれほど増えてくると,どうしたことかと悩んでしまう。

ことの起こりは,何回か書いたように,ここ数年,結城昌治と三好徹の小説を読み始めたからだ。結城昌治は寡作だと解説に書かれていたし,三好徹だって量産できるほど書き飛ばしているようには思えなかった。それが甘かった。

新古書店の105円棚で探すと,とにかく二人とも作品数が少ないとはいえない。

読まないまま本棚に積み重ねられた結城昌治の本(もちろん文庫本)は以下のとおり。

  1. 温情判事(角川文庫)
  2. 偽名(中公文庫)
  3. 不良少年(中公文庫)
  4. 泥棒(集英社文庫)
  5. 罠の中(集英社文庫)
  6. 花ことばは沈黙(集英社文庫)

まだ少なく感じられるのは三好徹のスパイ小説,新聞記者小説周辺だけ買い求めても,以下のようになってしまったからだ。

  1. 野望の果実(角川文庫)
  2. 異国の空の下で(角川文庫)
  3. 天使が消えた(角川文庫)
  4. 殺意のアラベスク(中公文庫)
  5. 帝王が消えた日(新潮文庫)
  6. 聖少女(文春文庫,タイトルの短篇のみ既読)
  7. 狙撃者たちの夏(文春文庫)
  8. 禁じられた花壇(集英社文庫)
  9. 商戦(集英社文庫)

双葉文庫の日本推理作家協会受賞作全集を買って読み始めたあたりから調子がおかしくなったに違いない。この週末には佐野洋の『華麗なる醜聞』,木々高太郎他の「短編集」,阿刀田高他の『短編集Ⅲ』,鮎川哲也の『憎悪の化石』を買ってしまった。水上勉の推理小説を読んでみようと思ったのも,このシリーズで一作読んだのがきっかけだった。

トリュフ

矢作俊彦のツイート見たら,西麻布のビストロ・ド・ラ・シテについての投稿があった。10年以上前のこと,ここで飲んだワインの旨さを思い出した。当然,仰々しくクロッシュのなかから玉子の殻に盛られた料理とともに香るトリュフとともに。その後,オーベルジュ・オー・ミラボーで昼食をとったときに,同じ料理が出てきたことも,さらに。

Too Long

昭和30年代の推理小説を古本チェーン店の105円棚から探し出しては,ここ数年,少しずつ読んでいる。面白かったのは結城昌治と三好徹。佐野洋と笹沢佐保は触手が動かないので,よく目にするものの読んでいない。

平成のはじめに亡くなった当時の上司である高橋さんは団塊の世代だった。スポーツ新聞の整理部を経由して業界紙の記者になった。高橋さんが高橋和巳と水上勉を高く評価していた。1年くらい前に水上勉の『海の牙』を読んで,意外と面白かったので『耳』と『火の笛』が売っていたので読んだ。それにしても,105円棚に並ぶ本の坩堝状態はすさまじい。どちらも長いなあという感想だ。

今日,くるりの「坩堝の電圧」マグカップをもらった。「モンティパイソン」マグカップ(ばか歩き仕様)が使用に耐えられなくなってから次のマグカップだ。

3

ロックにストリングスを絡ませるには,The BeatlesをモデルにするかThe J Geils Bandのほうに向かうかどちらかだろう。前者としてTears for Fearsがかなり意識的に取り入れた手法は,ほとんど雛形と称してもよいようになったし,後者の例としてCheap Trickを思い浮かべる。

そこで,くるりの新曲“Remember  me”の出だしは,Tears for FearsのThe Beatlesパターンなのは明らかで,それを踏襲したバンド云々いうより,そういうものだとして聴くほうがよほど気がきいている。

くるりを聴いていると,矢作俊彦の引用癖を思い浮かべる。先日の武道館ライブのオーラス前の「地下鉄」の出だしは「Don’t let me down」だというのは明らかだけど,そこにどのような歌詞を載せるか,どこにつなげるかで別の文脈が生まれる。それが面白い。T Rexの「Telegram Sam」が「愉快なピーナッツ」に変わるあたりとか。

そのうち自己引用をはじめたりしたら,もはやそれは矢作俊彦だ。

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