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昨日の雪はほとんど積ることなく解け始めた。午前中から仕事,昼に一度家に戻る。Storesに注文があった本を取りに行く。サワディで昼食をとり,発送の準備をして14時過ぎに家を出た。

東西線で門前仲町まで行く。ブックオフに寄り,バスで有明まで。ガーデンシティで家内,娘と待ち合わせる。16時過ぎに着いた。17時過ぎに開場の列に並ぶ。ここで来月だったか平沢が3公演開くことになるとは。ほとんど日本武道館並みのキャパだ,これは。チケットは買っていないし,在宅オーディエンスになるかも考慮中。

で,定時の17時半くらいから,くるりのライブは始まった。

「ランチ」「虹」と続くと,これはアルバム順に演奏されるのだろうなと思うのは筋だ。ドラムは石若で,相変わらず鳴り物の切れとバスドラがすばらしい。「惑星づくり」が始まったあたりから2013年の武道館ライブを思い出す。あのときに比べ,バンドが若返っている感じを受けるのはメンバーの違いだけではないように思う。曲を演奏するに際しての解釈が若返っている。

「ばらの花」からはヒット曲オンパレード。”WORLD’S END SUPERNOVA”は全音で頭のてっぺんあたりになり続くドローンを入れてほしいものの,演奏からホーンが減った分,ギターが全面に出てきてよい感じに響いた。

Morning Paper“はドラムアレンジが変わっていて,スネアでエコー気味におかずを入れたりして,ややインダストリアル風に響く。

“NIKKI”からの”Birthday”,”ワルツを踊れ”からの”アナーキ・イン・ザ・ムジーク”あたりでかなり盛り上がる。”坩堝の電圧”からはバンド作曲名義の”oAo”が久しぶり。以前は,クリムゾンの”Man With An Open Heart”っぽいように思ったけれど,この日は”ばらの花”の続きっぽい演奏だった。

“THE PIER”からは”Loveless””There is”と,このあたりはチオビタ系列の王道。最後まで時系列に添って演奏は続く。

くるりのライブではドラムの音やフレーズの変化と,岸田のローコードでのソロが聴きどころになることが多いが,この日は”アナーキ―・イン・ザ・ムジーク”がどちらも無茶苦茶新鮮に鳴り響いた。

このところやや停滞気味の活動だったけれど,これを機会に妙な音を鳴り響かせてほしい。

光が丘

相変わらず事務作業の傍ら,編集関係の仕事というバランス。月曜日は午前中,請求書作成。1か所分とはいえ,以前の仕様で一度,請求書をつくり,PDFに吐き出させたものを加工してプリントアウトするので時間がかかる。元の登録データを修正すればよいのだけれど,オリジナルのソフトだから,どのあたりに手を入れればよいかチェックするにも時間がかかる。「新潮」を買って,サワディで昼食。

火曜日は昼前にマンションの工事会社と打ち合わせの後,高田馬場の百均まで行く。パッケージ用品を購入,昼食をとり戻る。午後から発送作業。1月末からStoresの注文が多くなり,2月に入っても順調。夕方,家内と待ち合わせて光が丘まで買い物に出る。娘が小さい頃,一度きたことがあるが,当時と様変わりしている。様子はほとんど印西あたりとかわらない。地下鉄で行ける地方都市という感じがする。夕飯を調達するためにLIVIN,イマミセ,イオンをめぐる。軒並みパンが売り切れている。明日,明後日と天気予報は雪なので,それに備えてのことなのだろうか。もしくはこれが日常なのか。日常,このあたりで買い物するしかないというのはどうなのだろう。

「新潮」の「ビッグ・スヌーズ」は,今度こそ,あと1,2回でエンディングを迎える様子。ある人物の登場を淡々と描く。ストーリーがどうしたという読み方と,ただ文章を読むことのよろこびとが交錯する。唯一,二村の身に起きたことからすると驚くほど落ち着いているように思えるが,では他に描かれようがあるかと思いめぐらせても,何も浮かびはしない。

週末

土曜日は午後から事務所に印刷所の人がくる。午後にはマンションの火災装置点検。午前中は家を片付け,午後から事務所で仕事。15時過ぎに打ち合わせが終わり,家内と待ち合わせて高円寺まで出る。

東中野で遅い昼食をとる。風が強い。というか寒い。古本さんかくやまを覘く。1,000円以上で20%オフというので,とりあえず1,000円分購入。ドラマは30%オフとのことで,こちらでも購入。スーパーマーケットで買い物をして,夕飯用にお弁当を調達して帰宅。自活しはじめた娘がいなくなると,人が動くことで発生する埃の量が減った感じがする。これから大泉学園に住んでいた頃の家に似た様子に戻っていくのだろうか。

日曜日は昼前に事務所に行く,Storesに数点登録し。仕事を済ませて15時くらいに帰宅。昼食をとり,仕事の続き。夕方に1時間ほど眠る。裏手のスーパーマーケットに買い物に行き,そのあと,夕飯をとる。

ヴァージニア・ウルフの本が増えた。読んでいないが。

Nightmare

花粉症の時期となり,とりあえず寝る前の薬を飲み続けて1週間ほど。舌下免疫療法の効果はどうなったのかよくわからない。妙なことに,飲み始めて数日は高齢の「副作用:悪夢」を見ることがなかった。それがここ数日,悪夢続きだ。副作用も平常運転になったようだ。

一日,事務所で仕事。POPや本を発送しに運送会社や郵便局で行くのは運動代わり。積み残しの仕事が少なくなってきたので,伸浩がもってきた期限切れの缶チューハイを1本。アルコール度数7%というのはなかなかきつく,2/3ほどで眠くなってしまった。残りを流しにあけて帰宅。家内と夕飯をとる。

昼は川向うのあんぷら屋に入り,カキフライが乗ったカレー。染の小道のときに入るくらいだったけれど,ときどき入ることにしよう。

ブックオフの均一棚で見つけた生島次郎『浪漫疾風録』(中公文庫)を半分少しまで読み終えた。椎名誠の『新橋烏森口青春篇』と似た印象。時代は違うのだけれど。あと,中島らものあの本か。

で,思い出した。坂口尚『石の花』1を買ったのだった。B5判でまとめられた迫力ある仕立て。新潮社ハードカバーと同じく5巻本らしく,B5判で揃えて,ハードカバーは整理しようかと思いながらページを捲る。

技術と表現の問題はいたるところで起きている。先に音楽でそれはおきたような気がする。矢作俊彦がアニメーションについて,フルアニメーションとストップアニメーションを比較して,どこまで見せるかという視点で,フルアニメーションの限界について語ったことがある。つまり毛穴まで描いたフルアニメーションが「面白いか」というと結局,それは面白さを左右するものではないということ。ストップアニメーションであっても受け手にとってはその解像度だから理解できる作品というものがあるということではないか,ざっくり括ってしまうと。

今回刊行された『石の花』は原画をスキャンし直し,レタッチしたものだそうだ。その作業でリリースするのには,デジタルフォーマットのほうがふさわしいのではないかと,購入した本を眺めながら考えた。

つまりドットで潰していく(という表現が妥当なのかわからないが)印刷データの特性が刷り上がりに影響するのではないかということだ。写真製版ではなく,CTPで刷版をつくる現在の印刷工程が抱える問題といえばよいのか。品質として高低がつくものではないとは思うものの,写真製版時の焼き時間の加減などで,線がシャープに刷り上がったりぼってりとして刷り上がったりする違いを感じていた目からすると,CTPの刷り上がりはシャープに感じられない場合が少なくない。『石の花』も漫画ではなく,原画を再現していくコンセプトとして見たほうがよいのではないだろうか。

石森章太郎は版面の1.5倍の用紙に原画を描いたと永井豪が語っている。つまり,1.5倍の大きさを縮小して緻密に見せるという手段をとっていたのだ。石森章太郎にとって原画が最終着地点ではない。ざら紙に特色で印刷されたものを見据えて描いていたと思われる。要はどのように印刷されるか,だ。

複製芸術としての漫画を考えるとき,そうした向き合い方をどこか前提とする必要があるのではないだろうか。近年,漫画原画の複製で単行本を作る企画があるものの,それらは漫画ではなく漫画原画として眺める本だととらえたほうがすっきりする。

火水

2月に入ったものの,昨日転倒して打った膝の痛さはなかなか引かない。

早々に新刊の見本が届く。1年かけてつくったもので,途中,とんでもないことがたくさんあった。11時過ぎに見本10冊をもって高田馬場まで。著者と間をつないでいただいた方にお渡しする。芳林堂書店が入ったビルの地下で昼食。日本橋経由で赤坂まで。弁護士と打ち合わせ。帰ってくると伸浩からメール。19時くらいに事務所にくるという。請求書を作り終わったころにやってきた。消費期限切れの缶チューハイを10本くらいもってきた。昌己と飲んだ居酒屋に入ってあれこれ話す。20時半頃別れて帰宅。

水曜日は一日,事務所で仕事。膝の痛さは相変わらず。ただ,少し楽になったかもしれない。夕方に徹からメッセンジャー経由で連絡が入る。19時くらいに事務所にくるという。なんだか学生時代みたいな感じだな。で,事務所で落ち合い,下落合のラーメン屋まで行く。こ奴がこんなにラーメン好きだったことをここ数年で知った。この店がオープンして20年くらいだと思い,店主に尋ねるとちょうど20年とのこと。遅れて家内がやってきたものの,客がたまってきたので,徹と先に出る。駅で別れ,高田馬場まで行く。ブックオフで文庫本を見ていると家内がやってきた。文庫本3冊買って帰宅。

とりあえず風呂に入れるくらいには回復しつつある。風呂からあがり,テレビを観て眠る。

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