Box

『マイク・ハマーへ伝言』特装版刊行を祝して,いや,”M.H I’m hard on you!”のフレーズをどこかに残しておいてほしかった無念さを含めて,別サイトの更新準備をしている。と,同じく少し前,ネットで「コンクリート謝肉祭」の連載案内ページが売っていたので,つい買ってしまった。

届いた2ページを見ると,連載直前,「コンクリート謝肉祭」のタイトルはまだ決まっていないことがわかる。連載のコピーを(未確認だけれど,たぶん)矢作俊彦がみずから書くのとは異なり,この惹句は編集部がつくったもののようだ。連載第1回のリードと比べると,そんな感じがする。

昭和50年代を折り返し終わりが見え始めた頃,矢作俊彦の文章を探して,神保町やその他の場所にある古本屋を闊歩した。古本屋を覘くことは私にとって日常の所作だったので,ただ,矢作俊彦の文章が載っていそうな媒体のあたりをつける作業を加えただけだったとはいえ。

はじめは,矢作俊彦かと思って関川夏央の著作や森詠の『真夜中の東側』あたりを買ってしまうなど,トライ&エラーのそれは繰り返しだった。なにごとも学習はするもので,数か月経つと,あたりがつくようになってきた。手元にあるスクラップの初っ端のものは当時,集めたものだと思う。

思えば『マイク・ハマーへ伝言』を書店で購入し,ページを捲ってから4回読み返す間,他の本には一度も手を触れなかった。犬も歩けば小説に当たる時代だったのだ。当時,私は連載「真夜にもう一歩」と「コンクリート謝肉祭」をくり返し読んだ。「コンクリート謝肉祭」の文体からは,もしかすると小説よりも影響を受けたのかもしれない。川上健一の『地図にない国』にまで手を出してしまうほどの長い時間,連載は単行本にまとまらなかった。後に単行本化された際には文章に手が入っていた。ネガが紛失したのだったかの理由で,連載時の写真はすっかり差し変わった。

ネットで購入したこの2ページは,別サイトを更新するのに用いる予定なのだけれど,あちこちの古本屋に通い,集めたときに比べると,副交感神経優位になってしまうくらいおだやかなやりとりだった。実は心があまり踊らなかった。モノの移動に伴うアウラは,ネットからこっち,弱くなってしまったのだろうか。今更言うことじゃないが。

Box

矢作俊彦さんのSNSで特装版『マイク・ハマーへ伝言』刊行のアナウンス。制作部数からするとオンデマンド印刷なのかと想像していたところ,プレスリリース(なのかな)に示された定価はかなり高額。

活版からとった紙型をフィルム撮影してオフセット印刷(ここまでは想像,まさかこんなふうにはつくっていないだろうけれど),さらにフランス装だというので,アンカットで出して製本用のチケット付きの価格――とすれば妥当というか,安いとも考えられるけれど,そんなことはないのだろうな。

キングクリムゾンのCDボックスセット(20数枚入り)と似たような価格帯なので,まあボックスセットを買うつもりで向き合えば,手を出さないことはない。CDが対時間比で値付けされるのであれば,本はいまだ紙に対して値付けされていると考えれば,この値付けは本来の電子書籍の値付けに近いものだろう。それも困ったものだが。丸山健二が立ち上げた出版社があって,そこで刊行された本の定価をみると,なんだか似たような印象だし,丸山健二の本を買うくらいならば『マイク・ハマーへ伝言』を買うのは当然だが,まあ,この値段で本を買うという行為がいまだ想像できないのが難題だ。

Movie

忙しいにもかかわらず,この1週間で2本の映画を観た。一本は「ベネチアの亡霊」で,もう一本は「くるりのえいが」。

何年ぶりかで出かけた日比谷にはミッドタウンが立っていて,ガード下からしばらくの景色はそれほど変わっていないかなと思ったのだが。少し地下に入ると,途端,歴史を感じる空間が残っているのはこのあたりの強みというか,他には変わりようがないものだと思う。

「ベネチアの亡霊」はホラーミステリだと思えば,よくできているのだろうけれど,それはクリスティー原作とは思えず,ベネチアで撮影される意味もあまりなかったように思う。

「くるりのえいが」は面白かった。こちらは新宿で観て,舞台挨拶の回のチケットがとれた。家内と娘と一緒に出掛け,夕飯を食べて帰宅した。

このところ

さて半月ほど記録が滞ってしまった。

決算に向けて,とりあえず売上を立てて請求書をつくり,打ち合わせを入れて,の日々。雑誌が進行し始める時期なので,それもあるし。売上を立てるためのやりとりが,今期には反映しないものの来期の売上につながりそうであったり,まあ,何かすると何かが進むのだろう。

踊ってばかりの国のライブをbillboard東京で観たあたりから記録がないようだ。よいライブだった。店のスタッフはまあ非道いものだったが。

先週は毎日,何らかの打ち合わせをしていた。夢野久作の『犬神博士』を何年振りかで読み返しはじめた。

VivaldiがiOSに対応したのでアプリをダウンロードした。トラッカーと広告ブロック機能はもちろんついているものの,いまのところ一定の線までしか機能していないようだ。他に何か設定しなければならないのかもしれない。

先日,ほとんど同い年で,近しい経歴をもった仕事上の知人と話したところ,ネットやコンピュータに関する関心というか,それで済ませるものは済ませてしまおうという諦念をもとにした取り組みにかなり温度差があることに気づく。仕事のサイトを独自で(金を出す余裕などないし),決済システムまで,見よう見まねでつくるようなことはせず,でもそのあたり何とかしておかなければというプレッシャーを仮に感じていないのだとすると,それはよいことなのかもしれないと思う。

近況

9月に入り,打ち合わせや外出が続き,いきおい更新が滞る。

以前からデータ化しておいたほうがよいかもしれないと思っていた「眠れる森のスパイ」をえいやっとばかりスキャンし始めたのは少し前。まだ20回分くらいまでしか済ませていないが,週1回,10回分ほどを済ませる予定だ。

先週末はチャーミングセールに出かけ,翌日は座談会の収録,さらに姪の結婚式と続き,一日空けて,昨日は踊ってばかりの国のライブをbillboardに観に行った。オリジナルのキング・クリムゾンがブッキングの手違いでダンスパーティーに呼ばれ,いつものとおり,スキッゾイドマンからライブを始めたエピソードを思い出すようなバランスを覚えながらも,なぜかとてもよいライブだった。

本サイトのREFERENCESに載せたように河合隼雄が1971年にまとめた中公新書『コンプレックス』中,「メサイヤ・コンプレックス」と称したコンプレックスについて記している。河合隼雄前に「メサイヤコンプレックス」という言葉を使ったものを読んだことがないから,でしかないものの,これは河合隼雄がつくったんじゃないかと訝しいのだけれど,にもかかわらず,このコンプレックスは巷のもろもろを考えるとき,よい手がかりになる。そのエビデンスなどわからないとはいえ。

で,ネットを検索すると,まあヒットはするものの,エビデンスについて触れられたページに遭遇したことはない。初手からエビデンスなどないのかもしれない。

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