栃木

10時前に家内と家を出る。池袋経由で栗橋まで行き,東武線に乗り換えて栃木に着いたのは昼を少し過ぎた頃。

40年近く前,栃木や新栃木で途中下車をして,駅近くの古本屋で時間を潰したことが何度かある。だいたいは新栃木駅近くにあった古本屋に寄ったものの,栃木にも数回降りた。駅前は以前から閑散とした感じだったのかはまったく記憶にない。川沿いに昔風の家並みが続くあたりに本屋と古本屋があったことは覚えている。

何度も書くことではあるが,当時,古本屋がありそうな景色というものはあって,徹と古本屋を探してあちこちぶらついているとき,このあたりにありそうだな,とあたりをつけると,かなりの確率で古本屋に遭遇したものだ。

栃木駅前は広い道路が通っていて,なんだか寂しさを増長させているような印象だ。風は強いものの,日差しはあたたかい。少し歩くと,昔風の家並みが現れた。紙を売っている店に入り買い物をして,文学館まで歩く。

家内が中原淳一展を見たいというので一緒に出掛けることにした。13時半から学芸員による解説があったのでそれに間に合わせた。知らなかったのは,中原淳一がイラストやデザインだけではなく,出版活動を並行して行っており,数誌を創刊しては畳むという経験をしていたことだ。

市街地に戻り,遅めの昼食をとった後,駅まで戻る。19時前に池袋に着いたので,買い物をして帰宅。山手線内回りが昨日,今日と運休のため,埼京線で一度,新宿まで出てから外回りに乗り換えて高田馬場に着いた。

11/14

この1週間,DMを合計600通以上発送中。明日でほぼ終わる予定だ。挨拶文をつくり,住所録をまとめ,電話番号を確認しながら,不在で戻ってこないことはないかを確認する。宅配便会社のサイトにエクセルをアップして,宛名シールを印刷する。

挨拶文にチラシ,見本を同封して,宛名シールを貼り,封をする。この繰り返しだ。あ,郵便振替用紙をつくったので,通信欄に費目の判子を押す作業もあった。先週ときどき,週末も含めて家内に手伝ってもらい,めどがついた。私よりもはるかに家内のほうが手際よいのだ。

少し前の神保町古本まつりで手に入れた「宝石」69号,島田一男読本を読み続けている。1957年に刊行された雑誌を鞄に入れて読めるのだから大したものだ。

1957年,すでにデビューしてから10年目の島田一男について,中島河太郎が花井先生と塚原婦警シリーズを評価していて,「(島田一男が書く小説は)あそこにいかなくちゃいけないんじゃないかと思う」と発言している。方向は異なるものの,その後書かれた「湯の町シリーズ」には同じような可能性があって,それらはその後の「日常の謎系ミステリ」のはじまりのひとつでもあると思う。

Box

『マイク・ハマーへ伝言』特装版が届く。著者謹呈しおりが添えられている。

出口裕弘がパリを舞台にエクスパトリエートを描いた小説が何らかの役割を果たしたとするならば,それは『マイク・ハマーへ伝言』がエクスパトリエートたちを描いたことを気づかせてくれるくらいのものかもしれない。

本書の巻頭に掲げられたマンガ”Count me out”は,これまで矢作俊彦がインタビューのなかで幾度か語った幻の映画のためのシナリオをもとにしたものだという。当初,発表されたのは1970年1月,タイトルは改変され「焼けっぱちのブルース」となった。「日本短篇漫画傑作集2」に収載された際は一部手が入り,今回は,さらに描き換えられている。描き換えられたコマ,ページの線はやけに勢いがある。手塚治虫でさえ,晩年の線に勢いは消えていたことを思うと,こんな線で描かれた作品を読むことができるだけでも本書は貴重だ。

小説は1974年10月14日を描いたもので,最初は映画の資金づくりとの名目で文学賞に応募したという。結果,落選した小説をほとんどそのまま持ち込み,1977年末(奥付は1978年1月),ハードカバーで刊行された。

“Count me out”のなかで喪失したのものは松本茂樹と裕子,そして学生運動のきな臭さであり,そこでは登場人物に故郷喪失者としてのイメージはあまり投影されていない。一方,小説『マイク・ハマーへ伝言』においては,喪失したものが喪失した場の記憶を強固にする。ときに喪失した場の記憶が喪失したものに対する感情を置いてきぼりにしてしまうほどに。そして両者の喪失をつなぐものが車なのだ。

「何が本気なものか。これが本気なら人生は一場の悪い冗談だ」と吐露する英二はだから,喪失する前の場にとどまり,喪失する前のように振舞おうとするのだ。

WordPress

WordPressでいくつかのサイトを管理していると,アップデートのときにどこかでトラブルが発生するようになった。この前は仕事のサイトがダウンし,今回は本サイトにトラブルが起きた。

ということで,更新が滞っている最中に,トラブルでサイト修理に時間を割き,ついでのように更新することになってしまった。

Box

『マイク・ハマーへ伝言』特装版刊行を祝して,いや,”M.H I’m hard on you!”のフレーズをどこかに残しておいてほしかった無念さを含めて,別サイトの更新準備をしている。と,同じく少し前,ネットで「コンクリート謝肉祭」の連載案内ページが売っていたので,つい買ってしまった。

届いた2ページを見ると,連載直前,「コンクリート謝肉祭」のタイトルはまだ決まっていないことがわかる。連載のコピーを(未確認だけれど,たぶん)矢作俊彦がみずから書くのとは異なり,この惹句は編集部がつくったもののようだ。連載第1回のリードと比べると,そんな感じがする。

昭和50年代を折り返し終わりが見え始めた頃,矢作俊彦の文章を探して,神保町やその他の場所にある古本屋を闊歩した。古本屋を覘くことは私にとって日常の所作だったので,ただ,矢作俊彦の文章が載っていそうな媒体のあたりをつける作業を加えただけだったとはいえ。

はじめは,矢作俊彦かと思って関川夏央の著作や森詠の『真夜中の東側』あたりを買ってしまうなど,トライ&エラーのそれは繰り返しだった。なにごとも学習はするもので,数か月経つと,あたりがつくようになってきた。手元にあるスクラップの初っ端のものは当時,集めたものだと思う。

思えば『マイク・ハマーへ伝言』を書店で購入し,ページを捲ってから4回読み返す間,他の本には一度も手を触れなかった。犬も歩けば小説に当たる時代だったのだ。当時,私は連載「真夜にもう一歩」と「コンクリート謝肉祭」をくり返し読んだ。「コンクリート謝肉祭」の文体からは,もしかすると小説よりも影響を受けたのかもしれない。川上健一の『地図にない国』にまで手を出してしまうほどの長い時間,連載は単行本にまとまらなかった。後に単行本化された際には文章に手が入っていた。ネガが紛失したのだったかの理由で,連載時の写真はすっかり差し変わった。

ネットで購入したこの2ページは,別サイトを更新するのに用いる予定なのだけれど,あちこちの古本屋に通い,集めたときに比べると,副交感神経優位になってしまうくらいおだやかなやりとりだった。実は心があまり踊らなかった。モノの移動に伴うアウラは,ネットからこっち,弱くなってしまったのだろうか。今更言うことじゃないが。

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