Drive to 80’s

Dropboxからデータを引っ張り出して,家で仕事を少しだけ済ます。事務所に行こうかと思っていたものの,面倒になってやめた。午後過ぎからAmazonプライムやYoutubeで短めの映画を何本か見る。Youtubeに「レディハンター 殺しのプレリュード」がアップされているのを見つけた。部屋を片付けていると家内からメールがあり,駅前のトラットリア(1年ほど前から「肉バル」と称しているが)で待ち合わせる。家内,娘と夕飯をとって家に戻る。とにかく風が冷たい。

無意識に『戒厳令の夜』を購入し,つい読み始めてしまった。そうするとなかなか止まらない。ただ,北杜夫に始まって,夢野久作,「戒厳令の夜」となると,70年代から80年代に自分が好きだった作家の作品を結局,読み直していることになる。

新刊を読む時間を確保する一方,初めて読むわけではない本のページを捲る時間が必要で,年々,その時間は長くなっていくのではないかと少し心配になってきた。

一時期熱中し,今は手を伸ばそうともしない作家は何人もいる。しかし,全体,読み返しの判断(というのかな)の閾値は下がっている。Webでディックの新訳についてのインタビュー記事を読み,危うくディックに手を出してしまいそうになった。一冊読み終える時間は長くなっているのだ。そんなものに手を出したら,どれだけ時間があっても足りない。

と,「レディハンター 殺しのプレリュード」は矢作俊彦が別名(いつものパターン)で脚本を書いた三池崇史の監督デビュー作。設定と台詞は矢作俊彦の世界。羽を伸ばして書いている感じがする。

戒厳令の夜

家内と昼をとって,スマホの契約変更のため,auショップに行く。奇跡的に空いていて,10分も待たずにカウンターに着くことができた。それでも要件を済ますまで30分程度はかかる。娘と待ち合わせという家内と別れ,久しぶりに高田馬場から小滝橋経由で落合郵便局まで歩く。子どもが小さい頃は,小滝橋あたりまで買い物や散歩に出かけたものの,ここ7,8年,年に1,2度くらいしか行っていない。景色はあまり変わらないな。郵便局で用事を終えて,そのまま東中野まで歩く。ブックオフで五木寛之の『戒厳令の夜』(上・下),映画公開時の帯がついていたので,つい購入。これまでセットで3,4回購入した気がする。中井まで行き,駅前で休憩する。家に戻り,本を読みながら,ついうとうとしてしまう。家内と娘と待ち合わせて,夕食をとりに外へ出る。寒いけれど,風は少し収まった。

『戒厳令の夜』は,たぶんはじめて読んだ五木寛之の小説だ。1970年代前後の作品はいくつか読んだものの,結局,最初の休筆(だったかな)から復帰後に書かれた小説で読んだのは『風の王国』くらいだと思う。どちらもサンカをキーワードに描かれた小説。

雑誌「マージナル」が創刊から数号通してサンカをテーマに特集を組むなか,五木寛之が座談会に登場したことがある。『戒厳令の夜』を最初に読み返したのはその頃だったと思う。

映画を見たのは大学時代だった。アメリカン・ニューシネマよろしく,ラストが衝撃的で,とにかく後味が悪い。原作はそれほどではないのだけれど。制作陣をみると,ああなるのは仕方ないのだろう。希望も何もない。

ときどき読みたくなるのは,『戒厳令の夜』『風の王国』が物語として,とても面白いからだ。『風の王国』は,映画「幻の湖」の原作のはずが紆余曲折の後,あんなふうになってしまったのではないかと想像したことがある。五木寛之の小説家としてのイメージは,だから初期の短編から業界ものを経て,サンカ小説に至る物語作家という,たぶんとても限局したもののままなのだ。

頭痛

朝から頭痛が非道くて,会社を遅刻。

まだ午前中のうちに用意を済ませ,会社へ。頭痛のときについてまわる眠気と闘いながら(ほぼ完敗),18時半くらいで切り上げる。『死すべき定め』をまとめて読みたかったため,駅前の喫茶店で30,40分休憩する。

昨日の続き。

対話の経路は複雑怪奇
ボクがあんたの目を見つめるのに
いったいいくつの許可がいる
ボクの声が聞こえるか
(P-MODEL“ダイジョブ”)

コミュニケーションについて考えるとき,竹内敏晴さんの著作とP-MODELの曲を通して見直すところから始めるようになってから20年以上経った。それは,中島義道がPHP新書で『対話のない社会』をまとめたり,その後,たぶん阿部謹也だったと思うのだけれど,大学生が教授を糾弾した学生運動時代以降から書き起こして,日本の世間を糺した本を出し始めたころのことだ。

P-MODELの1st,2ndアルバムのコンセプトはオーウェルの『1984』が元になっているので,わかりやすい。リリースと少し遅れながら聴いていたときは,実のところ,3rd以降のユング心理学からトランスパーソナル心理学をネタにした曲のほうが好きだった。今でも,気に入っているのはそちらの曲の方なのだけれど,コミュニケーションを考えるなら圧倒的に1st,2ndの曲だ。“一気に飛ぶよに 本気で愛して”などという歌詞をもとに論を立てようなら,コミュニケーションの前提さえ揺らいでしまいかねない。

声の大きさやバッチの数は,「対話の経路」を遮断するのには有効かもしれない。しかし,それで対話が成立すると考えること自体,妙な考えだ。

中学時代の友人と久しぶりに新宿で会ったのは平成の初めころだった。彼は阿含宗からどうにか抜け出したところだったようで,にもかかわらず,そのとき待ち合わせたもう一人はまるっきりマルチ商法に嵌っていたので,不運な奴だなと感じたことを思い出す。マルチに嵌った奴とはそれっきりで音信不通になり,元阿含宗の奴とは会う機会が増えた。何度かスタジオに入り,ベースを弾いてもらったこともある。

1980年代をほどんど会わずにいたにもかかわらず,そ奴と酒を飲みながら話が合ったのは,この10年近く,結局,お互いコミュニケーションの前提をうろつきながら過ごしたことを確認したときだった。対話に対する過度ともいえる緊張感について,うまく説明できないのだけれど,当時,さまざまな機会に感じたことは覚えている。

しかし,オウム真理教事件以降,そのあたりの感覚はすっかり変わってしまった。今や,対話の経路の可能性さえなきに等しいところでコミュニケーションが始まっているのだから,いや,まったく。

恫喝

9・11以降,この国では他人の理念を嘲笑い,足蹴にし,執拗なまでに攻撃するという態度に慣れ親しみすぎている。

(中略)

哄笑,嘲笑,沈黙。
それらは,全て,人が人とことばを介し,対立し,交渉し,合意を形成して行く積み重ねの放棄だ。(大塚英志)

検討会のテープ起こしに区切りがついたので事務所を出た。ガワンデ『死すべき定め』に感化されて,トルストイ「イワン・イリイチの死」を読みたくなった。高田馬場のブックオフで探すが見当たらず。田辺貞之助『江東昔ばなし』 (菁柿堂,1984),福田和也『イデオロギーズ』(新潮社)をそれぞれ108円で購入して出た。芳林堂書店に光文社文庫版があったので購入した。その帰り。

西武新宿線の各駅電車を待ち,並んだ列に沿って車内に入ると怒声が響く。30歳代前後,体格のよい男だった。怒鳴られたのは勤め帰りの女性のようで,男に対し,じかにぶつからずにうまくあしらう。乗降時,男の前に老人がいて,そのタイミングに合わせてゆっくり進んでいたところ,後ろから女性が押したことに腹を立てたのだという。そのように怒声で説明する。電車が動きだしても思い出したかのように数十秒ごとに怒声が響く。

「静かにしろ!」初老の男性のような声だ。男の注意はそちらに向く。そして怒声。初老の男性は「静かにしろ!」以外,何も言わない。ふたたび思い出したかのように男は女性に怒声を浴びせる。怒声からは,事情を説明しようとする姿勢は感じられず,あるのは恫喝だけだ。下落合駅に着くまでの3分程度,車内の雰囲気は非道いものだった。

①Aは老人のタイミングに合わせて乗車を待っていた。②AはBに後ろから押された。

AがBに①の説明をすれば済む話だろう。そこに怒声と恫喝が加わるから,そちらが先に立ち現れる。何か引け目のあることをしたわけではなさそうだから,恫喝する必要はまったくない。傍目には,日々,そのようにして自分の思い通りに物事をすすめてきたのだなとしか感じ取れない。

声の大きさとかバッチの数とか,そんなもので世の中が動いていくわけではない。アイデンティティを他人に保証してもらうようなたちの悪さには繰り返し辟易とさせられたものだけれど,最近,また伸している感じがする。

カルテット

“カルテット”というと,ウルトラヴォックスのアルバムやイザベル・アジャーニの映画を思い出す。

午前中のよどんだ思考は17時を過ぎた頃からクリアになってきた。20時過ぎまで仕事をし,家に戻る。このところ定常化している遅めの夕飯をとり,家族と一緒になってテレビを見ている。

年末まで毎週,「逃げるは恥だが役に立つ」を同じように見ていた。脚本家でドラマを見るパターン。新番組「カルテット」は,軽井沢を舞台にした音楽サスペンスらしい。この脚本家が手掛けた作品どころか,名前さえも知らない。という状況ではじまった。

高橋一生という俳優が登場したとき,誰かに似ているなと思った。「スタジオボイス」を編集していた頃の佐山一郎だ。実際に会ったことはないものの。

どこか昔の映画,「ときめきに死す」あたりを思い出す質感だ。どのような物語が展開されるのかわからないけれど,こういうドラマが放送されるのか,と第1回を見た感想はとても漠然としている。

イッセー尾形の芝居がドラマのなかで展開されていた。芸術家風のせこい詐欺師という役はぴったり。昭和60年代のイッセー尾形の変化,それはまわりが変化させたのだろうけれど,については,誰かが書き留めておいたほうがよいと思う。NHKが掬い上げ,打ち上げ花火のように人気が出て,変質せざるを得なくなった数年間について。

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