イタリアン

母親がオリーブオイルを使うようになったのは,昭和の終わりくらいのことだったと思う。最初,なんだかプラスチックを溶かしたような味が混ざっているように感じたのは,保存料か何かの匂いが加わっていたのだと思う。

20年近く前,大泉学園から中井に引っ越してきたとき,高田馬場から目白にかけて,イタリア料理店がかなりあった。今も店を開いているのは文流,ロマーノ,タベルナ,kazamidoriくらいで,ミストラルやシャークが閉店するとは思いもしなかった。

一連のサイトに何回か記したとおり,新大久保駅から大久保駅に向かい,教会の手前あたりに,平成のはじめまで,一軒の地中海料理店があった。昼はランチメニューがあったけれど,夜は6,000円のお任せコースのみだった記憶がある。入って正面右に向かってカウンターがあり,左の壁沿いに何卓かテーブル席が並ぶ。10人少ししか入れないほどの店だ。ワインは編籠に入ったシャブリだけ,どういう客層を相手にしていたのかわからない。

フロア係を兼任するマスターは横柄な人で,ランチ目当てに出かけても,多少客が入っていると午後1時までにはサービスできませんなどと平気で言う。話半分に受け取る私たちがテーブルに着こうものなら,料理を作り始めるまで,何度かあきらめさせようとプレッシャーをかけてくるのだ。いつも黒のピチッとしたパンツを履いた,小柄で50代くらいの男だった。奥には彼が信頼をおくシェフがいたけれど,目にした記憶はない。当時,この店に入るたび,会ったこともないのに,どうしたわけか中井英夫とB公のコンビを思い浮かべた。

そうまでして席を確保するには理由がある。

この店のランチメニューにある,魚介のホワイトソーススパゲティが恐ろしく美味いのだ。マスターの慇懃無礼さをがまんしても食べたくなる逸品だった。昼休みの時間,12時半を過ぎても出てこないこともあったから,出来立てのスパゲティを火傷しそうな速度で食べた。

夜のお任せコースは家内と何回か出かけたことがある。当然のように,その日のコース内容は知らされないので,それは,いつ食事が終わるかわからないスリリングなものだった。最初に行ったときは,時間をゆっくり取りすぎて,途中ですでにおなかがいっぱいになってしまった。

リニューアルしたタベルナで夕飯を何度かとった。リニューアルというものの,全体,お店の印象は変わらず,フロアを闊歩するマスターと円形のカウンターのなかで,ドリンクとスイーツをサービスするマダム(?),入って右奥の厨房の様子は時間が止まったかのようだ。

タベルナ,ミストラル,そして新大久保の地中海料理店。壁の穴にまだ何がしかのプライオリティが発生していた時代を生き抜いたイタリアンには,その頃,どこか似たような空気が漂っていた。昨日,また,タベルナで家族と夕飯をとりながら,そんなことを考えた。

コンビニ

朝から大学での会議に参加。午後過ぎに散会し,そのままお寺に向かった。

雲ひとつない空にお寺の境内と並んだ墓石。義父の様子を確認し,葬儀会社と簡単な打ち合わせを済ませる。家まで行き,名簿類を確認した。

帰りに練馬の一信堂書店に寄る。20年ぶりくらいかもしれない。店内は買取本で山積み,その整理の真っただ中だった。すべての棚を見ることはできなかったものの,立派な古本屋さんだと改めて感じた。この沿線では石神井公園近くと大泉学園の古本屋をよく利用した。少し前に書いた江古田と合わせて,いや,ひばりヶ丘にもひばり書房があったし,西武池袋線沿線はこと古本屋については不便しなかった。大泉学園に住んでいた20年前くらいのことだけれど。河野典生『陽光の下、若者は死ぬ』(角川文庫)と高橋紘『象徴天皇』(岩波新書)を購入した。

池袋まで戻り,光芳書店に行く。この店は結城昌治の文庫本がいつも左上コーナーに並んでいるばかりか,昔のマンガも好きなものがよく並んでいたので,支店ともども昔はときどき出かけた。数年ぶりにきたところ,結城昌治はあったけれど,マンガの在庫が少なくなっていた。しばらく棚を眺めたものの,買うものが見つからない。

店を出て,タカセの裏側の喫茶コーナーでしばらく休む。ここ2,3日鞄に入っている森雅裕『高砂コンビニ奮闘記』(成甲書房)を読み終えてしまおうと思った。

『高砂コンビニ奮闘記』は,面白いのだけれど,メリハリが乏しく長すぎる。高砂は親のマンションの処分する行き来にときどき降りた町で,駅南口すぐの書店,歩いて4,5分のところにある古本屋,北口の目の前の中華料理店あたりは利用した。特に中華料理店の生姜焼きは脂身がほとんどなく,美味かった。行間からあのあたりの暮らしが感じられるものの,あの森雅裕が書くエッセイだからと,妙な期待をしてしまった。

ただ『コンビニ人間』に比べると,森雅裕が描くコンビニには体温を感じる。

だから生きているのはいつも誰かの末裔

午前中は家内の実家で,妹さん一家と葬儀の打ち合わせ。決めることは父親のときとほとんど同じなので,1時間くらいで終わった。近場で一緒に昼食をとり,そのままお寺に向かった。エンゼルケアの不備か,不意の死亡で点滴を絞るタイミングが遅れたからなのか,再度処置をするのに1時間半ほどかかった。その後,納棺を終え,葬儀会社と簡単な打ち合わせ。

実家に戻り,式の連絡先を整理する。近所に事の次第を伝え,夕方には家を出た。

武蔵野茶房でしばらく休憩し,夕飯を買って帰る。

絲山秋子『末裔』の再読を終える。このタイミングで『末裔』を読み終えるというのは,どうしたものだろう。再読一回ではもったいない小説。暗記してしまうくらい読み込みたくなった。

一族っていうのは、不思議なもんで、普段は、ねずみ算式に、子供が増えていくように思ってるんだが、逆に、自分の側から、さかのぼっていくと、(中略)むしろ先祖の方が、無限に、増えていくんだな。
絲山秋子『末裔』

Timing

タクシーで40分ほどは決して遠い距離でない。

朝6時。家内の携帯電話に病院から連絡が入った。夜中に胃内容物の逆流があり,その後,呼吸が止まったという。アルバイトのシフト交代を終えなければならない娘を家に残し,家内と二人でタクシーに乗った。週末,7時前の下り車線は,それでもときどき少し滞る。

その車内であれこれと考える。本人は家族葬を考えていたので,台風の接近に合わせて,まずは身内だけで葬儀を済ませてよいかもしれない。先日,渡された資料一式には,葬儀を依頼する会社のパンフレットも入っていた。義母の葬儀の際,世話になった会社だ。そして,曲などをダウンロードし,そのままにしてあるKindle fire。どうして私は,こうもタイミングが悪いのだろう。この「ほんの少しの差で間に合わなかった」感は,ある時期から私についてまわっている。もちろん自分の責任だ。

病院で義父を看取り,家内の妹一家,娘を待つ。その間,葬儀会社に連絡をとる。こんなとき,携帯・スマホは助かる。

9時半過ぎ,葬儀会社がやってきて,義父を車に乗せると一度,自宅に戻った。

病院を出るとき,病棟の看護師長さんが「玉子かけご飯がお好きだとおっしゃって,いつも,食べたいなあと。私たちも食べさせてあげたかった」。反則なのだけれど,こんなとき,物事は杓子定規に済まされないことくらいわかっている。言葉が胸にグサリと刺さる。涙腺とは,どこがどういうふうにつながっているのだろう。

夏場なので万が一のことを考えて,家には入らず,そのままお寺に向かった。そこは僧侶が常駐(?)していないお寺で,にもかかわらず墓地は随時分譲を続けている。義父は一家の墓を20年ほど前,ここに決めたのだ。葬儀会社と通夜・告別式の日程などを調整する。すぐに僧侶の都合がつかないため,週明けになった。

その後,納棺師が様子を整え,僧侶に枕経をしていただく。

通夜・告別式に関することで決めなければならないことを整理し,手続きできるものは終えておくことにする。

いつの間にか午後2時になっている。妹さん一家の車で近くのファミレスまで行き,遅めの昼食をみなでとる。「末裔」がすべきことは,こんなふうに進んでいく。

池袋で休み,夕飯をとって家に戻ったのは午後8時過ぎだった。長い一日が終わる。

Timing

母親が末期で入院していたとき,なすすべは何もなかった。ようやく思い付いたのは宗教にすがってもらうことだ。増上寺の僧侶にメールで相談し,ベッドサイドで話をしてもらうことになった。その打ち合わせをしていた一両日の間,母親は危篤になり,結局,考えてたことは何も叶わなかった。

タイミングが悪い。

金曜日の会社帰り,家内と待ち合わせて,義父を見舞った。病室は個室に移っていて,蛍光灯は点いていなかった。鼻カニューレがつけられて,そこから酸素が入っている。先日,見舞いにきたときよりも厳しい様子に感じた。

私たちが部屋に入ると目を覚ます。ベッドをギャッチアップしてほしいというので,ゆっくりとスイッチを押す。背中に手を差し入れて,ベッドと背中の間の空気を抜いた。暖かい湿り気。起きあがって左手にした時計に目をやる。

「いま,何時かな」

「夜の7時前。様子はどう?」

「おしっこするとき痛いんだよ」

挿入されている尿道留置カテーテルが排尿のときに刺激されて痛みを感じるのだろう。

「しかたないね,うん」

「夜の薬があるので飲まないと」

袖机を探すものの,薬は見当たらない。

「ないけど」

「おかしいなあ」

「水飲む?」

「痛いからなあ」

「音楽聞きませんか」

私は今朝,Amazon プライムからダウンロードしてきたクラシックの曲を流し,iPhoneを耳元にあてた。

「これは,いい。はい,次」

そうやって数曲を聴いている様子が今も目に浮かぶ。

「明日,また来ますから。端末もってきますよ」

「そうか。今日はもう遅いから帰りなさい」

ベッドの角度を元に戻し,部屋を後にする。そのとき交わした視線が,この世で義父と向き合う最後となった。

家に戻り,Kindle Fireを探し出し,クラシックのベスト盤3枚,世界の絶景を撮影したテレビ番組をダウンロードした。でも結局,このデータを義父が耳にすることはなかった。母親に聴かせることができなかった僧侶の話とそれはまったく同じだった。

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