偏頭痛

先週のなかばから偏頭痛が始まった。群発性らしく,これまでの経験からすると1週間程度は続く。

日曜日なので8時過ぎに起きた。シャワーを浴びて朝食をとる。暑さがもどってきたような気配がする。10時過ぎに事務所に出かける。片づけかけの本の山から『ブラック・ジャック創作秘話』第1巻をつかんで出てきた。電車のなかで読む。『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃 』(文春新書)の少し進んだ。

夕方まで仕事をして,茗荷谷で続きを読もうと思い店を探したものの,適当な場所がない。しかたないので,日高屋でビールとつまみをとった。出たのは18時過ぎ。夕飯用にお弁当を買い家に戻った。

少し前に買った平野啓一郎の『マチネの終わりに』(毎日新聞社)を読み進める。辻原登の『ジャスミン』(文春文庫)や,辻邦生の小説を思い出す。

0時を過ぎた頃から偏頭痛の気配。鎮痛薬を飲み様子をみるもののおさまらず,家内から偏頭痛用の薬をもらい冷却枕で首を冷やす。見事に頭右半分がズキズキする。結局,3時過ぎまで寝つくことができなかった。

林竹二

夕方から高円寺に出かけることにした。

新井薬師前で降り,久しぶりに古書案内処の均一棚を覗く。日向康『林竹二 天の仕事』(現代教養文庫),石森章太郎『宇宙からのメッセージ』(小学館)を購入。飲み屋街を歩いて駅まで行き,高円寺に向かう。古本屋を少し覗いて,家内と娘がくるのを待つ。パル~ルックをぶらぶらしながら進み,カフェ文福で休む。私だけアニマル洋子を覗きに出かけて数冊購入。アルバイトが早い娘に合わせて夕飯を済ませてしまうことにする。ハティフナットで軽くとる。

日向康の本を捲りながら印象的だった箇所と,林竹二の本から抜粋。

かつて、田中正造は当時の憲法、大日本帝国憲法を蔑ろにする政府に向かって〈政府、自ら侮りて国を危うくす〉と嘆いた。正造にとって政府とは「人民」の“世話”をする事務所であって、その“世話”、つまり行政の基準は飽くまでも憲法という理解だ。したがって、政府が憲法を踏みにじった場合、それは〈自ら〉を〈侮る〉行為であり、国の存立基盤を侵したことになる。国は、このとき政府によって滅ぼされるのである。正造の考える亡国とは、このようなものだった。
日向康『林竹二 天の仕事』(現代教養文庫)

いままでの授業研究というのは、授業案を片手に持ちながら授業を見てますね。そして、ちょうど時間どおりにきちっとおさまるとか、板書がどうかというようなことで評価がされる。やっぱり教師の活動を見ているわけで、子供のなかにどういうことが起きて進行していくかということはほとんど問題にされない。そういう定形化してしまった授業から教師が解放されることがさしあたりの問題だと思いますね。しかし、では解放されて何をするのかという問題になると、教員養成大学を含む大学で、そういうときの直接に力になるものは何も与えていない。だから、それらの教師としてのいわば専門的な力量というようなものは、斎藤喜博さんは現場に出てからしかやれないんだということを言っているわけですが、教育の現場は、大学を卒業した者を受け入れて、教師としての専門的な力量を養わせるための教育の場としての機能は持っていない。付属学校の実習を見ても、単なるベテラン教師のテクニックを押しつける形でしか指導はなされていない。だから、実習期間の延長は、授業を根本から考え直す努力とはおよそ正反対の効果しかもたらさないでしょう。教員養成については、私は絶望しているんです。

私は六年間教員養成大学の学長をしてきたわけですけれども、その間、いろいろなことをやってみました。しかし、結局、何もやれなかった、否、やらなかった、というのがこのごろの私の実感です。何もできなかったというよりは、何もやらなかったというほかない。いま私として考えているのは、新しく大学を出たばかりの教師が、自分は教師だ、だから教える資格があるんだというようなとんでもない思い上がった気持ちを持たないように、それだけのことはしておかなければならなかったという気がします。そういう増上慢を捨て、ほんとうに人間対人間として子供に向き合っているなかから何かを学んでいってもらいたい。
林竹二・灰谷健次郎『対談 教えること 学ぶこと』(小学館)

90

かなりの間,1990年から先5,6年の記憶が混ざっていた。ライブをしたり,家庭をもったり,メルクマールになるはずのできごとがいくつかあるにもかかわらず,一瞬のように感じることしばしばだった。子どもが生まれてから数年くらいもまた,同様に記憶の前後が不確かだ。

今から20年前。1996年を,たとえば1984年に1964年を振り返ることと比べてみる。全然違うじゃないかとこれまでは納得していたのだけれど,どうもそういう理由ではないらしい。

昭和50年代に矢作俊彦の小説とP-MODELの音楽に遭遇してから後,結局のところ自分の記憶のたよりがこの2つにもとづいていると気づいたのは最近のことだ。

1990年から5,6年というのは,つまり『スズキさんの休息と遍歴』が刊行されてから『あ・じゃ・ぱん!』が出るまでの間なのだ。P-MODELは1988年に凍結し,1989年から平沢ソロがスタートする。そのあたりからP-MODELの解凍/改訂/ドラムレスあたりまでの記憶が一塊になっている。

矢作俊彦は1982年くらいから毎年,6,7月になると新刊を1冊刊行していた。少なくとも1983年から1986年の6月は,矢作俊彦の新刊の記憶とともに積み重なっている。P-MODELのライブに足繁く通ったのは1986年から1988年の2年間だ。この時期もかなり正確に記憶が堆積しているはず。

P-MODELは,というか平沢進は90年代に入ると精力的に活動したのだけれど,それらがどうにもピンとこなかった。結局,アルバムは「サイレン」を聞いて後,「Blue Limbo」が出るまで聞かなくなってしまった。ライブはHi-Resが最後。80年代後半のライブハウスの体温を記憶していると,90年代の平沢進とP-MODELはまどろっこしい。(加筆予定)

連鎖

会社帰りに保坂渉・池谷孝司『子どもの貧困連鎖』(新潮文庫)を購入したのがはじまりだった。続けて石井光太『「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち』(新潮社)を読み,何とも言えない気持ちになった。『ルポ 消えた子どもたち―虐待・監禁の深層に迫る 』(NHK出版新書)と『徹底調査 子供の貧困が日本を滅ぼす 社会的損失40兆円の衝撃 』(文春新書)を捲っていたところに『骸骨の黒穂』が割り込んだ。門前仲町のブックオフで松沢呉一『闇の女たち: 消えゆく日本人街娼の記録』(新潮文庫)が108円で売っていたので手に入れて読み進めている。

もともと週末からアラン・ベネット『やんごとなき読者』(白水社)を読み終える予定だったのだ。読書会の課題で,ただ仕事がかなり立て込んでいるため,参加できそうにないものの,とりあえず半分くらいは読み終えた。

漠然と「人の暮らし」を思うときに,居心地の悪い傍観者の立場というものがあるように感じる。居心地の悪さが免罪符になるわけではないものの,見てしまった/読んでしまった責任だけで突き動かされる何かがあると思うのだ。

椅子を軋ませさえすれば。

高崎

喬史は高崎に住んでいる。生まれも高崎で,途中,引っ越しをしたけれど,ここ数年は高崎から職場に通っているという。本当にそう言うのかどうかはわからないが,学生時代,彼の群馬弁をわれわれは「ん音便」と呼んでいた。撥音便の変形なのかもしれない。「行くのか?」を「行くん(か)?」,「するのか?」を「するん(か)?」,「そうなのか」を「そうなん」というように,たぶん話す方は言いやすいのだろう。言われた方は最初,ピンとこなかった。高崎というよりも群馬弁なのだろうから,われわれにとって,いまだに群馬というと「上毛かるた」よりも「ん音便」の印象が強い。

10年以上前,前橋に出張したことがある。2日目の夜,久しぶりに会おうということになって,当時,高崎に住んでいた喬史の家に呼ばれたことがある。前橋まで車で迎えにきてもらって,バイパスを使うと,数十分の距離だった。当時,すでに前橋は草臥れてしまっていたけれど,まだ高崎は廃れるところからなんとか踏みとどまっていた。「高崎のほうが都会なんだからよぉ。高崎に泊まればいいのに」。窓越しに流れる灯りは確かに前橋よりもはるかに賑やかだった。

その後,前橋に出かける用事は数回あったものの,乗り換え以外で,高崎に行くことは一度もなかった。

週末に高崎に行った。仕事の都合だったので日帰りだ。朝早くからの会だったため,行きは大宮から新幹線を使った。会場は東口から車で10分程度の距離にある大学。スクールバスから見える景色は,昔の宇都宮駅東口に似ていた。

地方の旧国鉄の駅は,当時の繁華街から数キロはずれたところに建てられていることが多い。汽車のようにうるさいものが町中に入ってこられては困るからという判断なのだろう。平成のはじめまで,だから地方の旧国鉄/JRの駅のまわりにはほとんど繁華街がなかった。駅と繁華街はバス便が結ぶ。駅前を中心に地方都市が再開発されるようになったのはバブルが弾けてからこっちのことだ。

高崎の繁華街も駅から距離がある。仕事を終え,後の予定まで時間があったので,スマホをたよりに古本屋をはしごした。古本屋は幸い,繁華街から少し外れたところにあることが多い。文京堂とみやま書店を覗くことにした。駅から十分に歩いて行ける距離にあったのだ。

文京堂は,既視感のあるつくりで,店番をしていた老人は私が店にいる間,すわったままほぼ寝ていた。杉本秀太郎『洛中生息』(ちくま文庫、カバーなし)を見つけ購入した。一区画だけ駅側に戻り南に少し歩くと,みやま書店が開いていた。こちらは大阪の古本屋に似た佇まいだ。おそろしく状態のよい夢野久作『骸骨の黒穂』(角川文庫)があった。私が高校時代に手に入れたものは,小口が焼けてしまい,読む気が失せていたのでいつかのみちくさ市に並べ,手元になかった。眉村卓『ぬばたまの…』(講談社文庫)と一緒に購入した。

帰りの車中,四半世紀ぶりに「骸骨の黒穂」を読んだ。やけに新鮮で面白い。昔,角川文庫に収載された夢野久作の作品集のなかで,この本が一番だと感じていたことを思い出した。

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