上がり框

本来,別のサイトに記すべきところ,おいおい整理していくことにする。

土曜日は10時過ぎに事務所に行く。折り畳み式のテーブルと椅子を持ち込む。家に戻り,本をカートに積んで再び事務所に。値付けはしていないし,本も拭き終っていない。玄関先に書棚もセットしていない。上がり框に本を並べるだけでは恰好がつかないので,部屋のなかに並べた。11時半くらいからとりあえず第1回上がり框古本市を開催した。

入り口の引き戸を10cmほど開け,そこに百均で買ってきたイーゼルを立てて,開いていくことはわかるようにした。近寄ってよく見なければわからないほどのサインではあるものの。

お客さんがくることは想定せず,Kindle Fireをスピーカーにつなげ曲を流しながら,原稿の素読みをすすめる。14時くらいにはじめてのお客さんが入ってきた。まさかと思ったものの,いろいろな人がいるものだ。

並べたといっても,さらっとしたものばかり。取っつきやすかったのか「釣りキチ三平」を数冊まとめて買って行かれた。値付けしていないので,指値でよいということにした。

家内が交代にきたので,自転車で近くの立ち食い蕎麦屋まで行く。戻ってきてから16時過ぎに片づけ始める。17時半くらいまでいて帰宅。たいしたことをしていないにもかかわらず疲れてしまう。1時間ほど眠ってから夕飯をとる。

日曜日は,昼に事務所(茗荷谷のほう)に倉庫から伝票を送ってもらったので,会社まで。伝票が到着したのは15時くらい。そこから1件,請求書をつくっていたところ,先月の締めで計上した伝票が今月も計上されているのを見つける。請求書は発送しなければならないので,とりあえず赤で修正をかけて発送。今日はどうも段取りが悪い。

家内と吉祥寺で待ち合わせたので,17時過ぎに会社を出る。順調に乗り換え,30分くらいで到着。昌己に教えてもらった新しい店,古本のんきに寄る。店のつくりは無理していないし,並んでいる本のラインナップがよい。昌己が供出したのではないかと思ってしまった。「LaLa」に「エスの解放」最終回が掲った号があったのでつい,買ってしまった。よみた屋に寄った後,夕飯用にカレーを買って帰る。吉祥寺に着いたかたりから,一日のタイミングの悪さが失せた感じがした。

まったく関係ないけれど,WordPressに移行してから9年近くになる。CloverDiaryをこつこつと利用していた時間よりも長くなったのか。

Block

明日の上り框古本市の準備をしながらツイッターのタイムラインをときどき眺める。平沢進がまたぞろよろしく,あれかこれかの二元論をかましている。なんだろうな。スピノザにならい何らかの確信をもっているならばガイドラインになり得るかもしれないが,そうでないかぎり,他者操作だろう,これじゃ。

現象,実体,本質は武谷三男の三段階論で,ただ,これが通用するのはなにがしかの確信をもっていてのこと。徒手空拳で現象に本質があることを確信できはしない。

以前書いたかもしれないが,ライブ「ガラパゴス島の待ち伏せ男」を終えた後のインタビューで,このライブで取り入れたサラウンドから話が広がり,フロアの(だったと思う)五感をコントロールしたいと軽く話した箇所が印象に残っている。後に,ファンは容易く動員され得ることが怖くなったとも話したように思うけれど,平沢にはその手の欲望が見え隠れする。

ときどき,平沢のツイートにレスを付けて返す。平沢のツイートはレスの数が多いので,それは特別なことではない。で,前のツイートに,確信の件をぶっつけて,次のツイートに対し,「他者を操作したい欲望,みえみえだなあ」とぶっつけた。これを返すと,仮に目にしたときはとても嫌な思いをするだろうな,と頭によぎる。すくなくとも自分では他者と距離感をとっていると思っているだろうから。距離感はもはや遠近法の問題ではない。他のツイートはそのまま打つのに,このツイートだけは一度,メモに打ってみてからペーストした。最低限の礼儀だ。

たぶん目に入ったのだろう。早速,ブロックされた。お,フィジカルな反応だ。ブロックされた手ごたえのようなものを感じてしまった。

その後,平沢のツイートがどのようなものか知らない。「つながりたければ私を見るな」と称していた平沢が,森岡賢の引用とはいえ「私を見て」と言うようになったあたりから,妙な場ができてしまったのだろう。この四半世紀のことを蒸し返してもしかたあるまい。辻潤は「世間を審判官にして争う程、未だ僕は自分自身を軽蔑したことは一度もないのである」と書いた。

吉本ばななは『どんぐり姉妹』のなかで,大切なことは検索しないという態度を示した。それにひきかえ平沢は検索しろという。単純というか,ただただ散文的な態度に陥ってしまったのだなあと思う。

37

このカテゴリーは10年近く前につくったものなので,変えなければならないのだろうか。

RIJF2019以来,くるりのライブを観に,Zepp Hanedaまで出かけた。駅から会場までの距離感がわからない一方,17時過ぎに出て天空橋までどれくらいかかるか経験がないのでわからない。経由で悩んでしまう。結局,池袋まで出て,大崎で乗り換え品川で再度乗り換え,という流れにした。

小奇麗にできた施設の奥にZepp Hanedaはある。手前のお店でカレーで夕飯を済ませ,10分くらい前に入った。今回は椅子席だったので,迷わずに家内,娘と落ち合う。

ファンファン離脱後,はじめてのライブで,新譜中心のセットリストではないだろうなと思いはしたものの,「東京」から「野球」まで,カップリング曲や新曲を含めたバラエティーに富んだセッティングになった。二,三の例外はあるものの,歌詞に込められたメッセージが全体,希望というか勇気につながるものを選んだのかもしれない。その意味でとてもメッセージ性のあるセットリストだと思った。COVID-19禍にライブで何を歌うか,演奏を見ながら,そう問いかけたバンドを思う。

この10年近く,トランペットやユーフォニウムパートが曲の土台に染み込んでいる。短期間で土台を組み替えることはできなかったのだろう。「坩堝の電圧」「ソングライン」からは演奏されず,「THE PIER」からは“loveless”,新譜からも2曲のみが演奏された。

2019年のライブからすると,やや落ち着いたステージだったものの,石若駿のドラムが前半,無茶苦茶恰好よく鳴る。ハイハットとシンバルで緩急をつけていくさまは,人力テクノの風情。バスドラを大きく鳴らし,スネアにはリムショットを被せる。これまで感じなかったものの,石若はBOBO系のドラムスタイルなのだろう。反面,タム系の音があまり拾われず,“loveless”はタムがほしいなあと何度か思った。(つづきます)

ビッグ・スヌーズ

6月が始まったばかりだというのに夏のような湿気と暑さ。

3年越しの翻訳書の見本が届く。同じタイミングで打ち合わせた本は書き下ろし箇所が仕上がらずいまだ出来上がっていないが。19時半くらいまで仕事。帰りに伊野尾書店で「新潮」を購入。事務所からカートを引っ張って帰宅。夕飯をとり,テレビを観る。

矢作俊彦の連載「ビッグ・スヌーズ」は,『大いなる眠り』に擬えると,すでに終わっていてよい頃合いではあるものの,この間,描かれた場面がとても面白い。「リンゴォ・キッドの休日」以来,一貫するテーマと『大いなる眠り』が見事につながる。レイヤー越しに物語が移行する醍醐味。

過去の事件を引っ張り出す術が新聞や雑誌なのも,本シリーズで一貫している。文字通り新聞(紙)を描くことが好きだったとしか思えない,これまでの足跡を思い出す。『ロング・グッドバイ』に比べると,「ビッグ・スヌーズ」の新聞はとても自然な感じがする。冒頭の一節が今回,方向を変えて(読み直していないのではっきりわからないが)登場する。従来の表現力に加え,構成の巧みさを本作では何度も感じる。すごいものだ。

週末

金曜日は会社帰りに以前の上長の会社まで行く。様子をうかがい相談する予定だったものの,どこも大変な様子。方向は絞られてきた感じがする。

土曜日は午後から事務所まで本を持っていく。STORESにきた注文の本を投函。これまで奥の方に固めて置いておくばかりだったのものを少し整理した。6月の週末土曜日に古本を並べようと思い立つ。内田百閒の文庫を事務所の上がり框に置いてイメージ写真を撮る。家内と待ち合わせ,東中野経由で高円寺まで。古本サンカクヤマの均一から文庫を2冊購入。スーパーで買い物をして,夕飯用にカレーを買って帰る。夕飯後,撮った写真を少し加工して告知をSNSに投稿。12,19,26日の11時から16時に「上がり框古本市」を開催予定。

日曜日は昼過ぎから事務所に行き,本の片づけの続き。中井で昼食をとり,茗荷谷まで。少し前まで「しまむら」だったスペースが「ダイソー」に代わっていた。クッション付き封筒と消毒詰め替えを買う。池袋まで戻り,夕飯用におかずを購入して帰宅。

「上がり框古本市」は最初,すでに事務所に移動した本を選んで並べようと思ったものの,一箱古本市と同じに,当日まで家で本を用意して持っていくことにした。人がくることはほとんどないだろうし,とりあえずは3日かけて本の片づけで,できれば,リサイクルショップで購入予定の棚などをセッティングしたい。近隣への挨拶もしていないので,済ませておかなければ。

片づけていた本のなかに丸山昭『トキワ荘実録』(小学館文庫)があったので読み返した。ただ,以前,この本を読んだ記憶はない。とても面白かった。カバーに著者と手塚治虫が並んだ写真を使っているものの,内容からすると石森章太郎との写真を使うべきなのだろうが。いずみ・あすかが「泉鏡花」をパロってつけられた名前だったことを初めて知った。以前読んでいなくて,初読だったのだろうな。

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