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諸般の理由で,サーバーと合わせて契約していたURL(www.localcolor.jp)も解約した。いや,たいした理由はないのだけれど,新サーバーでの設定が面倒そうなので,つい。

順次,こちらのサーバー上でバックアップしておいたデータの再構築をすすめていくことにする。

この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ!

週末に前橋まで出かけた。敷島公園で開催される「敷島・本の森」ブックマルシェを覗きに行こうと思ったのだ。

家内と2人で湘南新宿ラインから両毛線を乗り継ぎ,新前橋からタクシーを利用しても2時間強。コストパフォーマンスを考えると新幹線を使うのは躊躇われる。30~40年前に比べると早くなったとはいえ,北関東は遠い。料金で比較すると熱海まで行くのと同じ計算になる。ちょっとした旅行気分で,幸い天候もよかった。

とりあえず敷島公園内で昼食をとってから古本を見ようと思ったところ,公演内に食事をできそうな店はない。ブックマルシェを横目に,ぐるりと回った道路に沿って立つ喫茶店の一つに入る。そこはハンバーガー店で,ハーブの効いたパテが美味しい。

松林にパラソルが並ぶ。家内と別れて棚を覗いていく。佐山一郎の本が2冊別々の書店で並んでいたので購入。『雑誌的人間』(リトルモア)は刊行直後に六本木のあおい書店で立ち読みした記憶がある。『デザインと人』(マーブルトロン)は初見。栃折久美子へのインタビューで一冊,本をつくってほしい。タイトルは『森有正と私』かな。

絲山秋子さんの出店先をさっと見る。それほど溜まりはしないものの人が途切れないので,声をかけそびれてしまった。全体をぼーっと眺めながら,この場に店を出してほしい書店を考える。吉田書店とか遠見書房とか……いや,ここに出てほしいのは版元ではないのかもしれない。

その後,フリッツ・アートセンターに入る。で,かなりショックを受けた。2016年現在,このような場が成り立つことを奇跡と呼んではいけないだろう。奥の絲山房と,そのまわりの本,本,本。この期間のみのアレンジなのだろうけれど,よいわるいなしにただ,ただ恰好よい。50歳すぎて場所からグサリを刃を突きつけられるようなことはほとんどないのだけれど,ここは別だった。

家内としばらく本や絵葉書などを眺め,私は結局,サム・シェパード『モーテル・クロニクルズ』のハードカバー版を買ってしまった。

センター内に移動式カフェが4店出ていたので,どこかでコーヒーを手に入れようと一通り覗いて,cafe MAKAPに決めた。店主は8年ほど前から移動カフェを始められたとのことで,その界隈で群馬では先がけ。かなり癖のある店主とばかり接してきたので,とても普通の対応が新鮮だった。時間はかかるものの酸味が効いたコーヒーはとても旨い。

17時近くになったので,タクシーで新前橋まで行く。大宮で娘と待ち合わせ,夕飯をとって帰ってきた。

「煙草を御婦人にしか売らん気」で店を開くということではない,そのことを感じたのが大収穫だった。間隙を埋めなければ伝わらないことだとは承知のうえで。

この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ!

 克哉は憤然とした面付きで席をたった。 短いピースなんて置きがあるわけはない。セブンスターかハイライトだけですと言う,ウェイトレスの生返事に,
 「フィルター付きばっかりだってさ」と無遠慮な声を残し,通りへ出て行く。
 「この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ! 翎」
矢作俊彦『マイク・ハマーへ伝言』

ずっと気になっている言葉についてSNSで呟いたとき(もちろんTwitterだ),「この店は,煙草を御婦人にしか売らん気だぜ!」という一節を思い出した。

編集の仕事に携わって30年近くになるというのに,自分がつくる本を“よい本”だと一度も思ったことはない。“面白い本”“好きな本”“気に入った本”ばかりに手を染めてきた。これは以前に記したはずだけれど,出版は博打のようなもので,決して健康優良児がそのまま世に出るための器でもなんでもない。誰にも頼まれない本の企画を立て,つくり,書店に並べてもらう。最近ではそんなつくりかたはしなくなったけれど,マーケティングリサーチよりも,自分が気に入ったからのほうが優先される時代は長く続いた。

PTAに推薦され,全国の学校図書館に並べられるための企画で食べて行く出版社だってもちろんある。そういう企画を立てる編集者だって少ないとはいえない。

ただ,好き勝手続けながら,それで生計をどうにか立ててきたのだから,今さら「それは甘い」「そんなことでは社会で通用しない」とは言われる筋合いはないというものだ。誰かに何かを言われたわけでない。ただ,世の中に“よい本”という言葉が行き来するのを眺めるにつけ,居心地がよくないのだ。

年数回出店しているだけで物言うことは憚られるが,たぶん古本屋店主の立場となると,少し違うのかもしれない。それで食べていくには“よい本”があると思うことから始め,そこから不特定の他者とのつながりが生まれるような気がする。自分が好きな本を並べるだけでは生業にはならないだろう。

書店もそれに近い感覚なのだろうと想像する。(つづけるかもしれません)

憲法

午前の部が終わるまでに4組くらいが登場した。弾き語り,サックスと歌,時事講談,バンドと形態はさまざまだ。なかでもカホンでリズムをとる若手の3ピースバンドが一番よかった。16ビートの壁を感じたのは,このバンドが出てきたからだ。リズムのとりかたが明らかに違う。

昼は喫茶コーナーでカレーを食べた。

午後の部は3部構成で,講演,コーラス,フォークなどなど,15分ほどの持ち時間いっぱい表現される。知人のフォークバンドは1人欠席でデュオとして登場した。昨年も同じ状況になったので,意図的なものなのかどうか,はわからない。彼は出番の前は進行係を担っていたので,二言三言交わしただけで,あとは客席を動かずに見ていた。

日本国憲法序文にメロディを付けた曲を最後に披露したのは昨年同様だ。このライブは「憲法フォークジャンボリー in 彩の国」というシリーズだから,それはもっとも似つかわしい。作曲者が別にいる曲なので変えようはないのだけれど,ラップでもなんでも,もう少しリズムに乗せるやりかたがあるようにも思った。

屋外イベントのむずかしさは重々承知のうえ,しかしこれは屋外で開催されるべきイベントなのだろう。ホールで開催しなければならないところに,こうしたメッセージを発する困難さを感じた。

それとともに思ったのは,実は表現者,参加者に届く別のメッセージを別の誰かが発しなければならないということだ。

ここにいる人たちに届くメッセージとはどんなものなのだろう。そう考えながら,長い長い帰路についた。

憲法

筋金入りのアマチュア・フォークミュジシャンとはじめて会ったのは名張の赤目だ。そのことは以前,日記のどこかに書いた。一時,同じ職場で違う仕事をしていたことがあって,その頃,何度か麻布十番で飲んだことも書いた筈。

彼が会社を移ったため,年に数回,酒場で会うだけの何年かが続いた後,昨年,メールが届いた。憲法記念日にフォークジャンボリーがあるので来ないかというのだ。場所は久喜で,物見遊山で出でかけた。今年も連休前にメールがあった。まるでどこかの団体のようだけれど行くことにした。

今年は加須で開かれると聞いても,しかし,それがどこなのか見当がつかなかった。上福岡とか加須とか,埼玉県は近場だというのに,足を踏み入れたことのない市がいくつもある。

池袋から湘南新宿ラインで北上し,久喜で東武線に乗り換える。さらに3駅北上すると加須に着く。当日は羽生の先で人身事故があったそうで,東武線のダイヤが乱れていた。この沿線にいくつもあるような駅前の景色。数分歩いた神社の向かいが会場だった。

昨年の会場に比べるとかなり上品なフロアだった。予想より早く着いたので,二組目の“表現者(出演者のこと)”から見ることができた。

物事には“エイトビートの壁”がまごうことなくある。何を表現してもエイトビート以上にならない人は少なくない。16ビートは,だから少なくとも戦後発明されたあらゆるもののなかで三本の指に入るくらいの大きなものなのだ。ただしフォークのスリーフィンガーは妙なもので,せっかくの16ビートをエイトビートに嵌め込んでしまう。そんなことを考えながらステージを眺めていた。(つづきます)

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